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ハラ(不能者)の映画情報・感想・評価・動画配信
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目次
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『ハラ(不能者)』に投稿された感想・評価
KnightsofOdessaの感想・評価
2022/08/08 22:26
4.0
[セネガル、不能の呪いは"西欧への羨望"?] 80点
センベーヌ・ウスマン長編四作目。最高傑作と呼ばれる同名自著の映画化作品。冒頭でラフな服装の黒人たちが中央官庁に押し入り、そこにいたスーツの白人たちを追い出す。曰く、"我等の手で工業や商業、文化をコントロールしよう"。すると、次の場面では追い出された白人たちが同じオフィスに入り、スーツで身を固めた黒人たちにブリーフケースを差し出す。金ピカのおまんじゅうである。つまり、首長が変わっただけで結局は白人たちの傀儡なのだ。さて、そんな汚職と職権乱用に塗れた高級官僚の一人エル・ハジは三人目の妻を迎え入れることを発表し、汚職同僚たちを最近購入した第三邸宅での結婚式に招待する。第一夫人アジャも第二夫人オウミもそれを快く思わないし、娘はそもそも一夫多妻制自体に批判的だが、彼女たちの存在は壁の装飾品と同じなので、無視して結婚式を進めていく。したり顔の老人たちが結婚時の妻の処女を自慢したり、花嫁の母親が初夜前の娘に"(痛くても)声を上げるな"とかアドバイスしたりしているのを見ると、あまりにもグロテスクだが、フランス語を話すエル・ハジに対してウォロフ語で返すアジャや、"伝統を継ぎたくない"存在としてその娘を置くことで、伝統の異常さを強調している。『Tauw』の主人公も同様だった。内容がストレートすぎるために長編にできなかったのか、そもそも短編だったから内容をド直球にしたのかは不明だが、鋭利でスマートな一作だった。
しかし、初夜で勃たなかったエル・ハジは、これを第一夫人アジャのインポ呪い"ハラ(Xala)"ではないかと疑い、解呪に躍起になる。一夫多妻については"伝統"を引用しながら、白人の犬となってスーツに身を固め、伝統的な結婚式を拒絶する男が、困ったときは途端に呪術なんかを信じて、怪しげな祈祷療法に手を出すという滑稽さもありながら、彼が甘い汁を盛大に啜っていた男性優位社会において、"男らしさ"を失うとどうなるのかをグロテスクに描いている。貿易商として仕入れたエビアンを飲みながら、それを車洗浄にすら使う成金具合に、彼ら新興セネガル人エリートたちが、自国の文化遺産や民族主義などをかなぐり捨てて、西洋の理想を模倣しているだけであることも同時に告発する。ブルジョワジーの辛辣な告発としてルイス・ブニュエル後期の作品と比較されることもあるようだ。
興味深いのは四人いる女性たちの立ち位置だろう。第一夫人アジャ(巡礼者の意)は伝統的な衣装に身を包み、ウォロフ語のみを話し、伝統だからと本心を押しつぶして一夫多妻制を受け入れる。彼女の存在はアフリカの過去の象徴のようで、だからこそエル・ハジが凋落しようと、彼女は彼の下を離れない。エル・ハジはハラがアジャによるものだと考えているが、絶対に違うのは一目瞭然だ。第二夫人オウミは逆に西欧風の服を着て、仏語とウォロフ語を混ぜて話し、性的/経済的に満たされれば一夫多妻制でも問題ないと考えている(二人は別々の観点で三度目の結婚を否定しているのだ)。オウミはより現代的な価値観、或いはその時代の代表であり、彼女の物質的欲望は満たされることはない。第三婦人ンゴーンは、劇中で一度も台詞がない。まるで人間ではないかのように、ヌード写真や顕になった背中など性的なイメージだけが消費される。そして、娘のラーマだ。恐らくこの映画の中で男性無しで生きていける唯一の自立した女性として描かれ、父親エル・ハジと直接対決するなど、センベーヌのアフリカへの希望を一手に担う人物だ。彼女は仏語とウォロフ語を話し、伝統的な服装も現代的な服装も着ていて、父親の差し出すフランス産の水を拒絶する。
結局、不能の呪いは何だったのか?強欲か、権力か、ナルシシズムか、社会への無関心か、西欧への憧れとその劣化コピーなのか。映画は全てを失ったエル・ハジが、かつて蔑んだ障碍者たちの訪問を受け、彼らによる"治療"を受け入れる場面で幕を下ろす。これはある種の希望なのか。
追記
息子の部屋に『Black Girl』のポスターが貼ってあった。
#2022ofOdessa
#AfricanFilmOdyssey
#センベーヌ・ウスマン特集ofOdessa
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ROYの感想・評価
2022/01/11 21:23
4.1
セネガル製社会風刺映画
イスラム教の実業家として栄え、西洋の習慣を多く取り入れている彼は、若く美しい女性を3番目の妻として迎え、一夫多妻制の伝統を守っている。しかし、ある日、呪いによって性的不能になり、経済的に破綻してしまう。(MUBIより)
■ABOUT
映画監督になる前、ウスマン・センベーヌは作家として、西アフリカの植民地支配者や教養人の言語であるフランス語で本を出版していた。セネガルではほとんどの人がフランス語を読めなかったので、作者は自国の大衆に「語りかける」ために映画監督になった。彼はこれを最も成功させ、その過程で、セネガルを舞台にした映画で世界の観客を魅了した。
『ハラ』は、現代的で堕落し、繁栄しているビジネスマンが、呪いだと信じていることに悩む姿を描いた作品で、フランス語とセネガルの主要言語の1つであるウォロフ語で書かれている。「Xala」とはウォロフ語で「呪い」を意味し、ダカールの商工会議所で尊敬を集めている主人公(ティエルノ・レイエ)に降りかかった呪いは、性的不能というものである。この呪いは、ダカールの商工会議所の高名な会員である主人公(ティエルノ・レイエ)に降りかかったもので、性的不能というものだ。彼は若い女性を3番目の妻として迎えたばかりで、他の2人には不愉快な思いをさせている。家庭内の魔術の犠牲者だと考えた彼は、古代の治療法を試す。セネガルの新しい支配階級を滑稽かつ破滅的なものとして描いたこの暗い社会風刺は、古いものと新しいもの、許容できるものと疑わしいもの、贅沢な消費と真の必要性の間の矛盾が、ジューシーで楽しい緊張感をもって描かれている。(MoMAより)
■NOTE I
地元の商工会議所では、白人のメンバーが退任を命じられ、代わりにアフリカ人のビジネスマンが就任している。しかし、一人の白人が戻って来て、各席の前にアタッシュケースを置く。アフリカ人はケースを開けて厳粛にうなずき、中に入っていた賄賂の山に感心する。古い秩序は新しい秩序に取って代わられたが、それはいつも通りのことだ。
セネガル人監督ウスマン・センベーヌの最新作であり、最大の問題作である『ハラ(不能者)』はこう始まる。彼の物語は、アフリカのビジネスマンの一人が、3人目の妻を家族に加える資金を調達するために闇市で米を売り、衰退していく様子を描いている。しかし、より大きな意味で、センベーヌはアフリカの資本主義の失敗と、植民地時代から受け継いだ腐敗の遺産についても意見を言っている。
これは、数少ないアフリカ人映画監督の中でも最高峰に位置するセンベーヌにとっての新境地である。『Black Girl』(1966)などの初期の作品では、彼は白人差別を攻撃した(ヒロインはパリに派遣され、最終的に自殺に追い込まれたセネガル人少女)。今回、彼はセネガルによく似た国に目を向け、その結果は衝撃的なものだった。彼はある生活様式とビジネスのあり方を告発し、同時に痛烈な風刺の才能を発揮している。カラー写真が少々色あせているが、一見の価値はある。
例えば、冒頭のシーンで、悩める中年サラリーマンが、最初の妻、2人目の妻、そして新しい花嫁の母親をなだめようとする。2人の妻が交わす会話を、センベーヌが辛口でウィットに富んだ表現で記録している。そして、初夜に性的不能になってしまった不幸なビジネスマンに、義母が寝室に飛び込んできて説教をする場面では、ブニュエルを思い起こさせる。センベーヌは、解放されたばかりの国家において、アフリカとヨーロッパの文化が不完全に共存していることに、特に関心を寄せている。実業家はメルセデスを運転し、フランスのミネラルウォーターを愛飲しているが、効能に問題があると、何人もの呪術師のところに連れて行く。(そのうちの1人は、ハロウィン風の差し歯をして、四つん這いで妻に近づくようアドバイスする)。
社会主義はセネガルでも通用するとセンベーヌは信じているようだが、彼が映画の中で描いている腐敗したハイブリッド経済は違うようだ。そして彼は、旧植民地におけるヨーロッパの影響力の継続を辛辣に示唆する。ブリーフケースを運んできた白人は、口ひげと黒眼鏡をつけた小柄で邪悪な男。彼は新大統領のそばに常にいるが、一言も話さない。センベーヌは明らかにその必要がないことを示している。
Roger Ebert, 1976-06-12, https://www.rogerebert.com/reviews/xala-1976
■NOTE II
センベーヌが示唆するのはいわば「国民語」のイデオロギーとでも言うべきものである 。『ハラ』からの引用のなかでも言われているように、セネガルではウォロ フ語が事実上の共通語となっている。そのことに基づいて、ウォロフ語をフランス語に代わる、あるいはフランス語とならぶ 「国家語」として採択し、「国民」全体の言語として優先的な地位を与えるべきだとするのである。それは、フランスにおけるフランス語の場合に典型的に見られるような、近代ヨーロッバ型国民国家の「国民語」「国家語」のイデオロギーを参照する 立場であり、フルフルデ、セレール 、マンディンカなどウォロフ語以外の言語には副次的な位磁しか与えないことが暗黙の前提となっている。
砂野幸稔「多言語社会の文化戦略 ...西アフリカの小国セネガルの言語風景」九州大学学術情報リポジトリ、18頁、https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/2320123/p017.pdf
■NOTE III
「SUNU Journal」による記事を抄訳してみました。〈https://note.com/roy1999/n/n91ac9c526ad6〉
■COMMENTS
あぁ゛プッ。
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CHEBUNBUNの感想・評価
2017/05/13 11:55
4.4
【とんだブラックコメディ】
セネガル映画史に残る傑作を観た。
重い話かと思いきや、すんげー黒いコメディであった。汚職官僚が富に身を任せ、金で買収、一夫多妻で女をおもちゃとして扱う。
そんな悪の一人が、妻の呪いで勃たなくなった。「あれっ可愛子ちゃん前に勃たない」と気付き、めちゃくちゃしょげます。
怪しい呪術師のところに行き、変な水と性交前の儀式を教わる。ドンだけ藁を掴む想いなんだ!
すると段々、この映画の世界では勃たなければ、人として見られない世界だと気付き笑えなくなる。
そして、女、虐げてきた障がい者、そして、官僚仲間に追い詰められていく様子は本当に怖かった。
暑苦しい映像に音楽が堪らないので、真夏に砂丘の真ん中で観たい作品といえよう。
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