カラン

ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古のカランのレビュー・感想・評価

4.0
役者は演技に何をかけるべきなのか、ピーター・ブルックが役者たちに指導してます。撮影は息子のサイモン・ブルック。重要なのは「リアルであること」となるんでしょうか。意識を集中し、精神が身体の動きに表れるように、精神以外の何も表現されないように、身体が《リアル》に動くようにすること、ということなんだと思います。

個々の演者のパフォーマンスに対して、人生論のような話しぶりでレクチャーします。『ハッピーアワー』を撮った濱口さんとかでしたら、この演出論をどんな風に感じるんでしょうかね。また、ベルイマンだったら、どういう風にこの映画をプロデュースしていたんだろう、などと楽しんで観ました。

マルグリッド・デュラスの小説『モデラート・カンタービレ』をジャンヌ・モローとジャンポールベルモントを配して映画化した『雨のしのび逢い』が抜群によかった(完璧だとは思いませんでしたが)ので、観てみましたが、息子のサイモン・ブルックの話しぶりからすると、ピーター・ブルックは映画的撮影のことを、どうもわかっていないようなのです。面白いですね。だって、デュラスを映画化するって極めて難しいはずなのですが、この『雨のしのび逢い』は、素晴らしかったんですから!



☆ピーター・ブルックの話


「大抵、最初の反応はひどいものだ。誰もが口々に、何の意味がある?理由は?存在意義は?などと、わめきだす。その瞬間こそ、探求の始まりなんだ。真の挑戦の扉が開くときだ。非現実を現実にするという、限りなく不可能に近い挑戦が始まるのだ。観客の琴線に触れる生きた芝居、心を捉えて離さない、そんな舞台を作る挑戦が始まるんだ。」

「綱渡りの稽古は・・・役者としての素質が問われる。役者とそうでない人の違いは、人間たる全ての点に表れるものだが、特別な才能を持つ役者は、純粋な想像力と身体の動きを正確に結びつけることができる。」

(突然フランス語で話し始める。アンゲロ・プロスよりも上手に聞こえた。)

「ヨシ、今のところは違うよ。もう一度言うが、リアリティが大事なんだ。辛いことをやってるわけじゃない。音楽だって何かに対して解放的で、ハッピーな音が流れているはず。売れない魔術師がイヤそうにしていることなんだろうか?違う。ハッピーなんだ。演技じゃなく、真の幸福感。楽しんでいるとも言える。・・・最初の和音を聴けば分かる。(手を広げて)最初の和音は悲劇的な音階とは正反対だ。・・・(伴奏のピアニストにフランス語で)今度は、アルバン・ベルク風に苦しみに満ち溢れた感じにしで弾いてみて。(ピアニストは悲しげな和音、もう一度。音が消えないうちに、ピーター・ブルックが)これじゃあ違う物語になってしまう。オーケー、やめよう。モーツァルトに戻ろう。(ピアニストは聞き分けず、悲劇的な短調で続ける。笑い声)」

「どんな言語でも、演じるというのは、楽しむ、という。英語ではplay、フランス語ではjouer、ドイツ語ではspielen、オランダ語では?(誰かが答える。)いわゆる演技と呼ばれるものには、すべて、観客と一体になれる瞬間がある。突然、自由な何かに包まれ、かつてない喜びが生まれるのだ。日々の生活でも、その喜びが味わえたらいいが、聖人でもなければ無理だ。しかし、集中した芝居の世界の中でなら、ほんの一瞬だとしても、感じられるんだ。・・・自分の中に喜びがあるんだ。」

この後、役者と観客の関係について、舞台でありうる喜びとはどのようなものか、観客が拍手をする前に「息をのむ」瞬間があり、それが演者と観客が一体になる時なのだという話しをします。
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