このレビューはネタバレを含みます
いつものスコセッシ監督とは真逆の、デニーロもペシも、ディカプリオもいない、落ち着いた抑制の効いたタイトル通りの映画。彼の映画とは、言われなければわからないでしょう。
キリスト教が持っている悲劇性をよく表している作品だと思います。
間違いなく、私の中ではスコセッシ監督作品のNO.1。
人生でそうあまり出会わない、魂を揺さぶられる、胸に突き刺さった映画です。
二人の宣教師の殉教までの道のり。ほぼ最初から最後まで責め苦の連続。
救われることのない絶望の中でも、答えを求め続け、決して信仰を諦めることがない。キリスト教に不勉強な私でも、その精神性を胸に突きつけられました
棄教して後、故郷から遠く離れた、言葉もろくに通じない最果ての地で、囚人同然の残りの人生、彼らはどのような思いで日々を過ごしたのでしょうか?
キリスト教に関する物品の判別士のようなことをさせられていましたが、それを軽蔑の眼差しで見ていたヨーロッパ人が印象的です。
しかし、棄教することによって生に執着し、辱めを受けるということも、また殉教の一つの形なのかと考えました。
そしてラスト、荼毘にふせられている、つまりこれもまた火刑による殉教である、ということなのでしょうか?
そう考えると、彼も立派にキリスト教徒としての役割を果たしたということなのでしょうか?
いろんな考えが頭の中で、巡ります。
宗教というものの持つ尊さと恐ろしさを、あらためて考えさせられる作品です。