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雨の日は会えない、晴れた日は君を想うのsatoshiのレビュー・感想・評価

3.8
 Filmarksで推されていたので興味が湧き、時間もあったので鑑賞しました。あらすじを読んだときは、洋画版「永い言い訳」みたいな映画かなと思っていました。ですが、実際は、非常に抽象的な映画でした。話のメインである解体もそうですが、とにかく隠喩が多く、読み解くのが難しいのです。ですが、私は、この映画は普遍的なことを伝えてくる作品だと思いました。

 まず、本作のメインである「解体」についてですが、これはおそらく一種コミュニケーションの隠喩かな、と思いました。主人公のデイヴィスはとにかく物を壊しまくりますが、その理由は「興味が湧いたから」です。興味が湧いたから、中身を開いて部品1つ1つを調べ、その物を知ろうとするのです。私たちのコミュニケーションでも、相手が心の中では何を考えているか分かりませんから、会話によって腹の内を探り合います。そして、相手を知っていくのです。それと重なるなぁと考えました。まぁ、どんだけコミュ障なんだよって感じですが。

 そしてその解体もエスカレートし、段々と奇行が目立つようになります。当たり前ですが、周りからは狂人扱いされ、社会から疎外されていきます。それを象徴するように、彼が雑踏を歩くシーンが、徐々に周囲を逸脱したものになっていきます。最初は周囲と同じ格好だったのが、中盤では髭を生やし、ヘッドフォンをし、常に踊っています。「俺はありのままに生きてる」と主張せんばかりに。見ていると完全に変人ですが、あまり笑えない話でもあると思います。何故なら、彼は欲望のままに生きているだけだからです。私たちは社会の中の価値観のもとに生きていますからこのような奇行はしませんが、ちょっとした欲は持っているはずです。彼はそれを実行しているだけなのだと思います。

 そしてそんな中で会うのがナオミ・ワッツです。彼女はシングルマザーで、息子は中二病真っ盛り。そんな彼らとの共同生活が始まります。ここで、同じく社会の外にいる息子と交流を深めます。

 そして終盤、デイヴィスは遂に無機質な自宅の解体にかかります。しかし、この解体はこれまでのとは少し違うと感じました。何というか、無理やりに壊している感じがしたのです。そして、彼は妻の一面を知るのです。ここからラストの流れが圧巻で、序盤のシーンが再現され、病院で目が覚めます。妻を亡くしたことを知った場所です。ですが、その時の彼は、妻のことを僅かながら知っていました。そして、知ったうえで、自らの中に愛があったと自覚するのです。

 こうして見ていくと、この話って、喪失と再生の物語であると同時に、自我の確立の物語でもあると思います。つまり、社会の中で自我が抑圧されてきた男が、妻の喪失を経験し、欲のままに生きて社会からはみ出たことで自分の気持ちを見つける話のような気がします。ラストの「最後の解体」も良かったですし、全力疾走しているデイヴィスの顔を見て、彼は自分を取り戻したのかもなぁ、と思いました。
 
 息子の言葉も良いですね。「ファッキン楽しんで」。妻の一面を知ってからも、デイヴィスのルーティンが描かれますが、そこには以前とは違う何かを感じました。欺瞞とかが多い社会だけど、彼にはこれからの人生、楽しんでほしいものです。
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