菊地成孔氏と町山智浩氏との論争があって、色々あった話題作だが、結局の所、俺らジャズドラマーじゃないから、技術的な事とか分かんないんで、映画として楽しめればいいって事でいんじゃない?
これ観て思い出したのは、昔「スポーツ文化論」的な授業で、「スポーツにはプロ、アマの分け隔てがあるが、芸術には無い。これは、文化としての成熟度の違いだ。」という論旨の話。
音楽とか絵画とか舞踊とか、芸術部門ってシゴキが許されるんだよ。昨今のスポーツでは?ダメだよね。体罰だなんだって騒がれて終わり。これって退廃なんじゃないか?
僕は体罰とか否定も肯定もしないが、でも極限まで技術を高める、ある壁を越えるのに修行は必要なんだろう。
でも、生ぬるく褒める事で才能を殺す、とか言ってたわりに、アンドリューを姑息なやり方でハメるって、お前どんだけケツの穴小さいんだよ!
うーん、フレッチャーの言葉はどこまで本心なのか?が分からない。キャラバンでの2人はどう思っていたのだろうか?