※2年ほど前の記事です。ページの存在にこの前気付きました。
[或いはソ連版『新学期・操行ゼロ』] 90点
エレム・クリモフって『炎628』以外影薄いよなぁと思い始めて5年近く経つが、そもそも彼が作った長編劇映画は同作を含めて5本しかないし、短編やTV映画、ドキュメンタリーまで含めても13本しか無いことに気付いてしまった。本作品の舞台はピオネールキャンプである。ピオネールとは、10歳から15歳の少年少女を対象としたソ連版"ボーイスカウト"のこと。しかし、誰でも入れるボーイスカウトに対して、ピオネールは認められないと入れないため、エリート的存在だったらしい。そんな彼らだって、監督生徒の目を盗んで遊んだり、いたずらを仕掛けたりしたいわけだよ!というのが本作品。映画自体も"大人になってしまった元子供たち、そして大人になる今の子供たちへ"捧げられている。本作品はそんな可愛らしい映画なのだ。
キャンプ長ディーニンが決めた厳格なルールのもと、小さく区切られた海で芋洗い状態で泳ぐ子供たち。不満を持った主人公イノチュキン少年がいたずらをする相手であるキャンプの大人たちを紹介する。柵の端っこでピクルスを食べてる大柄の支給品マネージャー、汗だくになりながら暴れまくる少年少女の数を数え続けるガイド兼班長のヴァーリャ、夏だけキャンプでコーチとして働く"グース"と呼ばれるナヨっとした青年、岸に打ち上がった魚を遠くの方で眺める医師、顔も確認できないくらい遠くから海を眺めるディーニン。イタズラの一発目はイノチュキン少年が引き受ける。彼は網に穴を開けて向こう岸に脱走していた!子供たちが"イーノーチュキーン!"とコールすると、ありえん遠くにいたディーニンの顔が大映しになって、少年と監督官の間にある空間が圧縮される。とまあこんなコミカルな感じでイタズラは続いていく。
毎度毎度言うことを聞かないイノチュキン少年はキャンプを追い出されるが、このまま帰宅するわけにもいかず、キャンプの演説台下を根城としてサバイバル生活を開始する。これには偶然気付いた仲間たちも参加し、食事をカンパしたりコントラバスを使ってトイレに行ったり、手に入る資源を最大限活かした子供心をくすぐるイタズラを次々と繰り出していく。正にソ連版『新学期・操行ゼロ』とも言うべき、美しき反逆の物語なのだ。
・追記
どうでもいい話を加えておくと、ヴァーリャ役のArina Aleynikovaは、『私はモスクワを歩く』で最初の空港に登場する"歌う少女"だった!なんか、泣きそう…