シェパード大槻

アバター:ウェイ・オブ・ウォーターのシェパード大槻のレビュー・感想・評価

5.0
絵を本物のように(上手に)描くことの意味は、本当には無いものを描くこと、つまり異世界に体ごと行くことであると私は思っている。だから写真が出てきても上手な絵の必要は無くならかった(のかも)。("この村にはいないほどの美人の絵"とかは一番いい。)アバターはそれだった。physicalがあの惑星にいた。知ってる物理法則と光に、知らない造形と質感。私を異世界に連れて行って、としか思っていないんだから。そういう側面において、この映画が人類のプログレスがもたらしたもののうちで最も素晴らしいものの一つと考えても良いと思うのだ!
家族を大事にすることは素晴らしいが、それはどこからナショナリズムに繋がるのか考えた。家族と他人を同等に扱っていては埒があかないが、それは、家族じゃなければ敵という思想までグラデーションかもしれない。家族主義は厳しい自然の世界や厳しいアクションの世界では通用しても今のデカい世界には向いていないのかもしれないと思った。人類側の目的はわからなかった部分もあったけど、仲間のために戦う(人類側とナヴィ側の)線対称な物語のようにも思った。解決のしようがないよねという類の問題。この映画では一貫して大事なのは家族で、種族はあまり関係ないという印象を受けた。

父親が妻に、子供が死んだ直後でも強い心を持って戦えといったところが、野生の強さと仲間意識の表れだと思った。またこの映画は
キャラクターがぶれないところがいいと思った。父親は水没して死にそうな時も敵と戦っていて男っぽいキャラクターだし対照的に母親は、愛とか神とかと近しい女らしい性格に描かれていたと思った。長男も責任感があって男らしいと思ったし長女も女の子らしいと思ったけどロアクは中性的な性格という印象を受けた。ロアクしか勝たん。死ぬことがとても神聖というイメージを(視覚的にも)改めて得られて腑に落ちた感。村ごとの生態習慣の描写も学術的な感じで納得感あった。アクションシーンが好きな人の気持ちあまり分からない。ネテアムが死ぬときはこんなにも悲しくなんて神聖なことかと感動したが、コメディの一環で腕吹っ飛ばされて死んだ人もいる。もちろん映画だからいいけどその人にも家族と物語があり、現実界でも主役になれない人がいるのでなんかやるせなさあるよね。

全然長く感じなかった一回も飽きずすぐ終わっちゃった。五回もあったら商業映画になるかなあ。