天豆てんまめ

この国の空の天豆てんまめのレビュー・感想・評価

この国の空(2015年製作の映画)
3.2
戦時の日常、それもほぼ家の周り、遠くても街角くらいに留まった日常的戦争映画。「この世界の片隅に」より、更に世界観が狭いが当時の雰囲気は濃密に伝わってくる。

この時代の訥々と話す昭和言葉が、二階堂ふみに妙に合っている。
そして、母親の工藤夕貴や叔母の富田靖子(この2人が姉妹という新鮮さを感じつつ)との女同士の台詞もやけに生々しく、情感がある。端々まで練られた台詞の細やかさはキネマ旬報脚本賞を4度受賞した脚本・監督の荒井晴彦の真骨頂だと思う。

そして、二階堂ふみの隣に住む長谷川博巳も色気があっていい。この時代の雰囲気にも合っている。彼女が彼に魅かれていくのもわかる。夏の暑さをじわりと感じさせる彼らの汗が滴り落ちる。2人がいざ抱き合う直前に、彼は、逃れ切ってきた赤紙への恐れに慄く女々しさ。その彼を死んじゃいやとぼこぼこに殴る二階堂ふみ。そして、ラブシーンはあまり濃く見せないのだけど、事が終わった後の二階堂ふみが身体を水で流すバックヌードを長い時間、見せる。荒井晴彦の作品はロマンポルノに限らず、濃厚なラブシーンが持ち味なはずが二階堂ふみNG縛りもあったのか。でも見せずに感じさせるエロスとして十分に艶やかさは伝わってきた。

この作品から伝わってくる戦時の空気感と同時に、戦火に家族を失った者の哀しみだけでなく醜悪さも叔母の富田靖子と母の工藤夕貴との言い争いで伝わってくる。そうなっても仕方ないじゃないという諦念感が滲む。

そして、エンドクレジットで二階堂ふみが朗読する茨木のり子(19歳で終戦を迎えた)の詩「私が一番きれいだった時」はじわっと沁みてくる。茨木のり子のこの詩をきちんと聴くのは初めてだったのだけど、他に「自分の感受性くらい」という素晴らしい詩があるので紹介したい。

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


初めてこの詩を読んだ時、ガツンと殴られたような衝撃を受けた。
今読んでも、ドキっとして、背筋が伸びるような迫力のある詩だ。

監督には随分昔に縁あって彼の行きつけの新宿2丁目のバーに連れていってもらったことがあったけど、阪本順治監督とかふらっと来ていた。彼の周囲には様々な映画人が多くいたが、歯に衣着せぬ物言いながら面倒見がよく、でも常に寂しさを漂わせている人だった。

まだ70歳。艶めいた映画をまだまだ撮って欲しい。