プペ

われらが背きし者のプペのレビュー・感想・評価

われらが背きし者(2015年製作の映画)
3.0
ファーストショットの美しく豪華な内装、そこから白銀の世界に移り、説明もないまま″惨劇″が行われる。
不穏な空気に包まれるこのオープニングは緊張感に満ち、この映画の空気を伝えている。

本作の見所はこのオープニングが示すとおり「理由なきトラブルとその緊張感」である。

主人公ペリーは教え子との不倫で妻と不仲になっていた。
その修復の目的でモロッコに旅行に来ていたが、妻との心の距離は離れたままだ。
出先のバーでゲイルが立ち去ったのを見ていたディマ(ステラン・スカルスガルド)はペリーを飲みに誘う。
彼は名の知れたマフィアであったがペリーはそれを知らない。

民間人がマフィアから″ブツ″を預かってMI6に渡す。
このシチュエーションはもう″行くところまで行く″というさわりである。

さて、ペリーはどこまで行ってしまうのか。
そして、どこで彼ら自分の置かれた立場を理解し、決断をするのか。


物語に不可欠な要素は上記2点であり、この映画の脚本はどちらも弱かった。

ペリーがどこまでディマの領域に立ち入るのかは想像に難くない。
ディマの物語上の欲求が「家族を救うこと」だから、彼の代わりにその役割と欲求を引き受けることになる。
これは物語上の「お約束」である。
だが本作では「お約束」を引き受けるものの、大した活躍はなく、預かったものを渡すだけだ。

リアリティという点では、民間人である彼が存在以上の活躍をするのはおかしくも感じるが、何も特殊能力を必要としなくてもいい。
民間人ならでは、特に大学教授(あるいは妻の弁護士としての知識)を活かして、頑なに事態を悪化させるMI6の暗部に切り込んでほしかった。
だが、巻き込まれた主人公夫妻は巻き込まれたまま終わる。

そして2点目の「決断」。
彼は場の雰囲気に流され妻を巻き込んだが、彼の物語上の欲求がブレているのが難点。
と言うのも、妻との関係修復を望むのか、ディマの家族を守られることを願うのかがあやふやなまま終わる。
妻との関係修復をメインに置くのであれば、この騒動がきっかけとなるはずだが、夫妻ともに″どの時点で明確に立場を理解し決断した″のかがわかりづらい。

この決断を強いるには、自身の命の危険と秤にかけ、夫婦で罵り合うぐらいの場面が必要で、ただ「子供たちのことを考えてしまう」というペリーのひとりよがりのセリフでは弱い。
夫婦に子供はおらず、子供に頑なに心を囚われるエピソードもないので尚更だ。


本作にカタルシスを感じないのは、近年の裏切りの連鎖に慣れていて、この映画は私たちをどう裏切るのかを期待している側にもある。
だが、淡々と終わってしまう映画でも何らかのカタルシスはあるはずで、本作では冒頭のシークエンスにも見られた″理由なき緊張感″の持続からの解放がそれにあたるはずだった。

しかし、エンディングまで一気に走る緊張感はあるものの、その解放から得られるはずのカタルシスが物足りなく感じるのだ。
それは共感を得るはずの主人公夫妻に魅力がないからだろう、

妻がいながら不倫をする夫は、旅先でも女性のモーションに現を抜かす不誠実さを持っている。
妻は関係修復の旅先でも仕事を優先し、不仲の遠因を感じてはいない。

この夫婦が巻き込まれたところで、どんな層が「同情」や「共感」を得るだろうか。

本作における主人公の物語のスタート時点での欠落は″夫婦の関係″であり、その″修復″がメインテーマだった。
そのために「ディマの家族を守る」という責務を負うのであるが、ここで必要なのはそのミッションを達成したことにおける明確な″修復の過程″である。

この映画にはそれがない。

いずれにせよ、緊張感を楽しみながらある種の教訓を感じるには良い材料にはなる映画だろう。
プペ

プペ