hajime363

トイ・ストーリー4のhajime363のネタバレレビュー・内容・結末

トイ・ストーリー4(2019年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

多様性というと安直だけど、アイデンティティや“生き方(意思、選択)”について、過去作の文脈を尊重しつつも大胆にブチ壊した傑作。
擬人化しすぎて脚本の大筋に“おもちゃ”というモチーフの必然性は無いような気もするけれど、ギミック(アンティークおもちゃの質感は神)とか、一部の登場人物(ゴミで出来たフォーキー)とかはトイストーリーならではの要素。楽しい~!

過去作の“おもちゃにとっての幸せ”は対比する対象(悪役の思想)こそ違えど、基本的には忠誠心に依拠しており、3ではそれが移譲されることでエモくて、完璧な完結を迎えた。
一方、本作は下記に列挙するキャラとの対比、コミュニケーションにより、“あるべき姿”と“自身の感情(心の声)”について深い葛藤が描かれる。

◆フォーキー
ウッディ達の新たな持ち主であるボニーによって制作された。材料は先割れスプーンとモール、ガムにアイスの棒。
自身をゴミだと認識しており、ゴミ箱に投身しがち。
ウッディとの対話において「スパゲッティを美味しく食べるのに利用されて捨てられること」が“あるべき姿”と話す。(だから、早く捨ててくれ、と)
前作において、おもちゃにとって圧倒的に恐怖の対象であったゴミ焼却炉。誰からも必要とされずゴミになることは、“おもちゃ”にとっての終焉を意味していた。
一方、今作では(役割を果たした上で)ゴミになることを肯定的に話すフォーキーにウッディはしどろもどろ。主人に見向きもされなくなっても“何か自分に出来ること”を探したいというウッディの内在的な欲求が対比によって強調される。
この辺、個人的には痺れましたけど過去作が好きだった人には「トイストーリーでやらないで」みたいな感じなのでしょうか…
結局、フォーキーはボニーのゴミであり、ボニーはゴミを傍においておくと幸せという着地点で、ゴミであることを認めつつ帰属意識を芽生えさせる。(ゴミであるというアイデンティティは保ちつつ、ゴミは捨てられるべきという固定概念を取り払う)

ネタバレフラグ付けているので書きますが、エンドクレジットでのやり取りが秀逸です。
ボニーによってゴミから新しく作り出されたおもちゃ(ナイフィー)が新しく仲間入り。
ナイフィーはフォーキーに対し「私はどうして生きてるの?」と問う。対して、フォーキーは「どうしてだろう?」と答える…(吹き替えで観てしまったので原語がどうか分からず…)
表面的には、ゴミに命が宿り困惑している様子、一方で今作で描いてきた多様な生き方(選択)や価値観には正解が無いことを示唆している。


◆ボー・ピープ
直近のディズニー映画におけるプリンセス的な立ち位置。
アナであり、モアナであり、ヴェネロぺ。マジョリティな価値観に囚われず、自身の感情を尊重する。
一方で、その姿勢には経緯と決意が背景にあり、竹を割ったような性格かというとそうでもない。
(ことウッディとの関係においては)
そういう意味では、ラストの展開は「王子様に選ばれるプリンセス」的でもある。(もちろん泣いたよ)
自身の生き方や姿勢が必ずしも万人受けしないという自覚はあるので強く主張(押し付けること)は出来ない。けど“共有”はしたいという根源的な欲求はやっぱりあるよね!笑
どうしても「ララランド」引用しちゃうけど…「シュガーラッシュ:オンライン」が共依存⇒尊重でララランド的だったのに対して、その一歩先なのでは、という感じ。うまく言語化できないな…
異性ではある、けれどあくまでリスペクト。となると近くにいる必要はないんだけど、やっぱり近くで感情を共有したい。この気持ちなーんだ?(なぞなぞ)


◆ジェシー
過去作の思想を尊重する存在。
初期不良のヴィンテージおもちゃのため“おもちゃとしての幸せ”≒子どもと遊ぶことを体験しておらず、それらに憧れを抱いている。
自身の欠点を生まれながらの要因と決めつけていたが、克服しても社会に拒絶される。(でも、そんなのウッディは経験済みだから励ましちゃうよ笑)
やっぱり、対話からの行動変容はエモい。王道。(もちろん泣いたよ)


◆ウッディ
過去作がウッディ達とアンディの関係性に重きを置いていたとすると、本作は完全にウッディの物語である。
ボニーに選ばれなくなってしまったウッディは口では強がりつつも、自分に出来ることを必死で模索し行動に移す。

本作を観るにあたり過去作を観返した際に感じた違和感があった。それは、チームとしての魅力に欠けるという点だ。
自分が働く年齢になったからかもしれないが、ウッディは命令ばかりだし、周りもウッディ頼りだし、意見が対立しても大抵はウッディが1人で先走っちゃう。
もちろん、個々の特性を生かしたアクションや“場当たり的な協力≠作戦通り”は観ていて楽しいけど、アンディに仕えるチームとしては理想的ではない。

本作でも、中盤くらいまではウッディ1人で先走る。おもちゃNGの保育園行きを渋るボニーに対し、カバンに忍び込んでアシストを提案するウッディ。
周囲は“ボニーが怒られてしまう”と反対するがウッディは1人で忍び込む。これは後の展開(ボニーにとってのフォーキーの重要性はウッディしか理解していなかった)にも通ずるがチームメンバーに対しヴィジョンやゴールイメージが共有できていない。
(こんな上司は嫌だ!)

その後、ボーと出会うことで“今までとは違った”チームアクションが展開される。

アバンタイトルでの“過去作に代表される場当たり的な協力(成功)”
中盤での“場当たり的な協力(失敗)”
終盤の“作戦通りの協力”という構成・対比により“チーム観”についても時代に即した明らかなアップデートが見られた。

自分はまだ何も成し遂げていないので自己投影とまではいかないけれど、“役目を終えた後”に見出す価値観、鑑賞から1週間近くたつけど目頭が…(´;ω;`)ウゥゥ


◆バズ
ウッディがいなくなってチームをまとめるのにしどろもどろしたり、道中で粗暴なぬいぐるみ(吹き替えがチョコプラ)に捕まったりとコメディリリーフでした。
とはいえ、“相棒”としての役割・見せ方は最高。

ボニー、フォーキーとの向き合い方をウッディと相談した際に、ウッディに「心の声に従うこと」を諭される。
以降、判断に迷う場面でバズは胸のボタンを押してボイス機能に指示を仰ぐ。分かってても笑っちゃう。
1作目においてバズが“自分がおもちゃであること”をウッディによって気づかされた経験が素地あると思うとエモい。(思い出して泣きそう)
※おもちゃという自覚が無いとできない行為であるという意味で

クレジット前のラストシーン、主人の元を離れてボーと共に歩むかどうかで揺れるウッディに対し、優しくも力強く背中を押すバズ。

"To infinity...and beyond!"

バズのボイス機能とウッディの心の声がシンクロする。あぁ大団円。(号泣)
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