Karen

トイ・ストーリー4のKarenのネタバレレビュー・内容・結末

トイ・ストーリー4(2019年製作の映画)
1.0

このレビューはネタバレを含みます

【おもぢゃをずでる子(ご)はいねぇがぁ】

おもちゃを捨てることができない人こと私です。断捨離で小学生の頃の通信簿を捨てることができても、バービー人形やシルバニアファミリーは捨てることが出来ません。

おもちゃを捨てることができない理由の一つが「トイストーリー」だ。おもちゃ、生きてる。おもちゃにライフスタイルある。そんな...逆に捨てれる?捨てるの...あかんくない?「あかんやろ!」ありがとう私の中の宮川大輔さん。

ということで、私はトイストーリーの大ファンだ。待望の新作が公開されるということで、速攻見に行った。

「あかんやろ!!!!!」

宮川大輔さんではなく、まごうことなき私が叫んだ。賛否両論ある作品で、同意できる称賛の声ももちろんある。しかし、ここは正直にあかんやろと叫ばせてほしい。

おもちゃである主人公・ウッディは、元の持ち主であるアンディの親であり、本作は親が自立する物語であるという感想を読んだ。

確かにうなずける部分もある。しかし、前作まで「相棒」だと称してきたにも関わらず、突然「親」としての役割を少し果たしていたとするのは少々納得がいかない。

ウッディを「親」と称するのであれば、本作の重要キャラクター・フォーキーの親は持ち主のボニーではなく、ウッディになるのではないか。フォーキーは生まれたての子どもで、ウッディは様々なことを教え、成長させる。まごうことなき親だが、触りだけ...という感じで親と称するには少々雑だ。

以上から、私はウッディを親とは称することができない。おもちゃは親ではなく、相棒であり、私の友達だ。親に話せぬ悩みを打ち明け、嬉しかった事を共有する友だ。彼・彼女たちに守られたこともあっただろう。しかし、それは親ではなく友だちとしての振る舞いだったはずだ。

...散々否定しまったが、今回のウッディの選択を全て否定することは出来ない。あまりにウッディらしくなく、社会に出て疲れた人間のようだったが、同じく社会に出て疲れている私は理解できた。「そこまで寄り添わなくていいのに」これが私の見終わった後の感想だ。

おもちゃの成長、と捉えるべきなのか。私にはまだ難しいので、ボニーに対して「アンディとの約束はどうしたぁ!?あかんやろ!?」(あかんやろ!)っと、心の宮川大輔さんと共に少し苦言を呈し続けたいと思う。
Karen

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