ニャーすけ

仁義なき戦いのニャーすけのネタバレレビュー・内容・結末

仁義なき戦い(1973年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

主人公、広能昌三(菅原文太)が山守組の若衆になるに至る経緯を説明する、冒頭10分間の呉の描写は何度観ても凄まじい。女を強姦しようとする米兵と、そいつらを退治しようとする広能ら復員兵とを映すカメラはドキュメンタリー・タッチが行き過ぎるあまりブレッブレだし、俳優たちの台詞もほぼすべて怒号なのでほとんど聴き取ることすらできない。だけど、この猥雑で圧倒的な混沌が、敗戦直後の日本のありのままの姿として完璧に表現されていると思えてならない。(米兵に強姦されかけた女が、数日後にはパンパンになっているのもやるせない)

数年ぶりに観て、深作欣二はマーティン・スコセッシによく似ていると思った。どちらもヤクザを義理人情に厚いアウトローだと美化することは決してせず、あくまでも金に汚く自己保身だけで動くみっともないクズとして描く。
本作においてそれが顕著なのは、山守組と敵対することになった土居組の親分を誰が殺りに行くかの責任の押し付け合い。どいつもこいつも「体の調子が良くない」だの「他にも手はあると思う」だの言い訳ばかりで、田中邦衛演じる名キャラ・槇原に至っては「ワシはいいけど身重の妻のことを思うと可哀想で可哀想で……」と泣き真似すらしだす始末。結局ここでも貧乏くじを引かされるのは広能で、山守から貰った端金で女を買い、乳首を噛みながら「後が無いんじゃ後が〜!」と唸る名シーンは、いつも菅原文太の芝居のテンションに爆笑してしまう。

しかし、スコセッシと違い戦中に少年期を過ごし、米軍の艦砲射撃で殺された人々(時には彼の友人も含まれていた)の四散した肉片を拾わされていたという経験のある深作は、創作活動の根底に戦争、そして若者の命を使い捨てにする老獪な体制への怒りがある。だから本作でも若杉のように“仁義”を重んずる男は真っ先に裏切られ、かつては志が高かった坂井は金の前に腐敗し、広能は結局最後まで山守に一矢報いることすらできない。この戦後ヤクザの醜態が大日本帝国のカリカチュアであることは明確だが、このように固定化した権力構造や非人間的な拝金主義の横暴に弱者が犠牲となる構図は現代社会においても普遍的なもので、本作が今なお強烈な求心力を持つのは必然なのである。
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