列車の進行側と反対に座った2人は互いに俯き、本を読みながら会話のない時を過ごす。その姿はいかにも理想的なカップルのように見えるが実はそうではない。クラシックのオーケストラに所属するビオラ弾きのレオナルド(イド・ゴールドバーグ)の音楽活動のため、夫婦でイタリアのイスキア島を訪れる。妻のジェーン(ケイト・ボスワース)は夫の演奏旅行に同行しながら、祖母の回顧録の執筆をしようと思い立ったのだ。風光明媚な避暑地は彼らの住むアメリカとは違い、全てを忘れさせてくれるような風景や街並みが続くが、2人の様子はどこか重く、ギクシャクしている。夫婦の関係ははっきりと冷え切っている。身体の関係はあれどその営みは義務的で、出会った頃のような新鮮さはもうない。一通りの行為のあと、ジェーンは鏡を見ながら下腹部をしげしげと眺め、優しく手で撫でるのだ。ビオラ奏者の夫は背が高くすらっとしたインテリで、大人しいが素敵な旦那さんにしか見えない。だが妻のジェーンは夫の煮え切らない態度に苛立つ。感情を表に出せど夫の本心はよくわからない。2人はホテルの同じ部屋に滞在し、同じ空間を共有するにも関わらず、夫婦の間にはろくな会話もアイコンタクトもない。ジェーンは夫に話があると切り出すも、彼は彼ですぐにまた次の演奏に行かねばならない。このような空振りを幾度も繰り返す度に、妻はこの夫婦の状態にげんなりし始めていた。しかしそんな様子を見ても鈍感な夫は声すらかけて来ないのだ。
そもそも夫は彼女の浮気を1mmも疑わなかったのだろうか?あの日あの時、オープン・エアで少し距離を開けつつも並んで座った妻とケイレブ(ジェイミー・ブラックリー)の関係性に只ならぬ気配を感じ取らなかったのだろうか?軽蔑すべきガキの乾いた笑いに優越感に浸っていたかもしれない夫は、妻が家庭で一度も吸ったことがない煙草を美味そうに嗜む姿を見て、己の知らない妻の姿に狼狽したはずだ。どこかギクシャクした3人の会話に妻は気まずさを感じるばかりか、むしろその空気を楽しんでいるようにさえ感じられる。やがて下腹部を摩った行動の裏にある傷ましい出来事が、夫婦の間にある亀裂だということはわかるのだけど、夫婦にはこの傷ましい事実を乗り越えるだけの相手への尊重がお互いに欠けている。流れて行った記憶は幾ら身体を重ねたとて容易に埋まるものではない。ましてやその出来事が決定的な事件となり、妻に欠損が生まれてしまったとすれば尚更だ。イスキア島でのジェーンの行動はただただ身勝手で、一切容認できる箇所はないが、彼女はここではないどこか別の場所で、もう一度自分を「ゼロ」からやり直そうとする。そんな妻の決心に薄々気付いていながらも夫は、少女のような彼女の姿を見て見ぬふりするのだ。彼女を新鮮な目で優しくエスコートするケイレブは飄々とした優男で、心にロックが掛かっていたはずのジェーンは彼の詩の朗読に感銘を受け、身を任せるのだが相手側がどういう人物であったにせよ、誰でも良かったのかも知れない。彼女にとって何よりも嫌だったのは、夫の煮え切らない態度であり、いつしか夫婦の間に出来てしまった厄介な壁だ。夫にひたすら尽くしていれば良かった祖母の世代からバトンを受けた現代を生きるジェーンは、自らの気持ちにカギをかけるようなことはしない。そこに現代女性の焦燥と決意が垣間見える。