Hoshiduru

はじまりへの旅のHoshiduruのレビュー・感想・評価

はじまりへの旅(2016年製作の映画)
4.1
突き詰めた先に待つもの

なぜかもっとヘンテコな映画だと思ってた。おとうさんは巨人じゃなかったし、子供たちは超能力を持ってなかったし、すごく、人間だった。

バリバリの資本主義社会で生き、供給過多な生活の中で、物欲やプライドに塗れる私の筈なのに、どこか彼らは身近だった。
将来子供ができたら、その子には学校に通わせなくてもいいとか、本当は細かく色々あるんだけど、私の中にある思想、そんな気持ち悪い言葉で表される何か、は外れものの発想だってどこかで分かってる。

正解がなにか、なんてわからなくって、この映画で言及されることも、「社会」、つまり、彼らの外の世界で彼らの生き方が通用するかでしかなくて。今は資本主義社会の勝利であるから、彼らは弱者で、外れ者で、不審者で、「ちょっと変な人」で。

でもきっと、彼らの考え方、生き方はもう分からないんだろうなってどこかで寂しさすらも抱えてる。周囲にもこういう生活に「憧れる」っていう人は結構いるけど、今のところ実現してない。 周りの大人は子供たちを、きっと「可哀想」って思うんだろうなって、そう思うとなんだかつらくなる。 彼らにも意思があって、反発心もあって、そのうえでの選択を簡単に無視してしまうそれがつらいのです。
とはいえ、あれが家族じゃなかったら、宗教団体だったら、ラストの観方すら変わってしまうのかな。 その自分の視点の可変性にすら、つらくなってしまうよ。

わからないんだけどね。何だかんだで、全て結局は私の考えを彼らに押し付けてるんだなって、ふと我に返っては、唸る。
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