小波norisuke

リトル・ボーイ 小さなボクと戦争の小波norisukeのレビュー・感想・評価

3.0
第二次世界大戦に従軍した父親の帰還を願う、8歳のアメリカ人の少年の物語。この少年ペッパーは、身体が小さいがためにリトルボーイと呼ばれていた。リトルボーイは、広島に投下された原子爆弾の名前でもある。日系アメリカ人との関係や、キリスト教信仰が物語の軸となっている。

敵国人として描かれる日本人にとっても、自国の偏狭な差別や原爆投下が描かれるアメリカ人にとっても、複雑な気持ちにさせられる映画だろう。そして、おそらく、多くのキリスト教徒にとっても、少し首を傾げてしまう映画ではないだろうか。

司祭がペッパーに渡す、古代から伝わるという善行のリストは、私は聞いたことがない。キリスト教の教えも細かい部分は多様であろうが、根幹は同じだと思う。私はプロテスタントだが、キリスト教は究極の他力本願の宗教だと教えられてきた。神の恵みに預かりたいがゆえに、善行に励まねばならないという発想に、どうしても人間は陥りがちだが、神の御愛は、善行を積んで勝ち得るものではなく、神から一方的に注がれる無償の愛であると教えられた。だから、司祭がペッパーに、父親が帰ってくるために実行するようにと善行のリストを渡すことに、とても違和感があった。

「からし種ほどの信仰があれば山も動く」という、キリストの言葉がこの作品の重要なテーマになっている。全能の神に信頼して祈ることは、人間にとって大いなる希望だ。それも、からし種ほどの小さな信仰でも、人間の想像を超えた大きなみわざを働かせてくださるというのだから。だけど、ペッパーの行動は信仰や祈りというよりも、彼にとってのヒーローである奇術師の念術を真似ているようにしか思えない。

そしてその念術の結果が、原爆投下に重ねられてしまうことに、日本人も、アメリカ人も、キリスト教徒も、複雑な思いにさせられるだろう。 もちろん神がペッパーの祈りに答えたのでは決してないはずだ。 戦争も原爆も、人間が為した愚行である。神が全能であるならばそんな愚行をなぜ止めてくださらなかったのかと思うのは、人間の責任転嫁であり、わがままだろう。

などなど、いろいろ考えさせられる映画としては、観てよかった。ペッパーを演じた男の子はかわいいいし、いじめっ子がペッパーとは対照的に身体が大きくてわかりやすいのも好きだ。一寸法師とも、ダビデとゴリヤテの話とも似ているマサオ・クメの話も面白い。
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