たむ

ウイークエンドのたむのレビュー・感想・評価

ウイークエンド(1967年製作の映画)
1.0
追悼ジャン=リュック・ゴダール監督。
正確ではないかもしれませんが「映画について書くこと、批評することは映画を作ることと同じである」と批評家時代のゴダール監督が言いました。
私の好きな言葉です。
映画を観て終わり、ではなくその映画について書いたり話したりしながら一本の映画が本当に完成していく。
そこまで出来て初めて映画が完成する、という当時のカイエ・デュ・シネマ誌の批評家のスタンスに非常に影響を受けました。

そんなゴダール監督も『勝手にしやがれ』で長編映画監督になり、それまで順調に映画表現の革命を起こしていきましたが、五月革命によって商業映画に別れを告げて、政治の時代に入っていきます。
そのスタートともなったのが本作です。
確か大学時代にこの映画が川崎市民ミュージアムで上映されて、初めてスクリーンでゴダール映画を観た思い出があります。

一体何が何だかわからない、理解したいとも思えない、確実に映画としての必要な何かを殺している。
訳のわからなさで本作に敵うのは『デビルシャーク』しかないでしょう。
限界スレスレで映画を保っていた『気狂いピエロ』が超えなかった一線を超えてしまった。
久々に見直しましたが、クライマックスはカオスそのもので、タブーに突っ込み、映画とお伽噺を終わらせます。
映画は人を楽しませたり、驚かせたり、感動させたりという想いがあるものですが、本作にはそういったものが存在しないように感じます。
技巧と即興とを駆使して作り上げた映像と音。
この映画は凄まじい情報量のため誰かにとってはスコア5で誰かにとってはスコア1になる偏ったものです。

私にとってのゴダール監督作品を振り返ってみたいです。
『ウィークエンド』から離れますので、興味のある方はお付き合いいただけると嬉しいです。
ゴダール監督は映画の物語性を否定して、映像と音で表現するそれまでにあった映画という概念を変革していきます。
そのため面白い、感動した、という普通の感想から逸脱していきます。
正直私も理解できた作品はほぼないです。
難しい言葉を使って考えようとしても失敗するので、もうやめました。
それでもゴダール監督の映画を観るのは、瞬間的にでも、他の誰にも撮れない映画的な美が存在するからです。
それは全ての作品にあると言っても良いです。
アンナ・カリーナさん主演の映画が持つ魔力的な瞬間。
もしこの二人が最後まで一緒に映画を撮っていたら、と歴史のもしもを考えてしまいます。
ゴダール×カリーナ時代は映画史にとっても実験性と美意識がうまく溶け合った幸福な瞬間だったと思います。
その終わりの始まりが政治の時代です。
訳がわからなすぎて笑ってしまうほどの作品ばかりの時代です。
商業映画に戻ってくるとスターを使った実験映画のスタイルが推し進められ、難解さは初期作品の比ではないです。
ドキュメンタリーという名のコラージュ作品の観客の混乱、戸惑い。
自らは挑戦して、観客を挑発する作風は、最後まで貫かれていました。
これからもゴダール監督の映画を観るでしょう。
混乱よりも、最も映画的な瞬間を観たいから。

極私的ゴダール監督作品ベストテン
10 『ワン・プラス・ワン』
9 『アワー・ミュージック』
8 『さらば、愛の言葉よ』
7 『イメージの本』
6 『女と男のいる舗道』
5 『勝手にしやがれ』
4 『女は女である』
3 『アルファヴィル』
※「ジュヴゼーム」という言葉を知って言った後のアンナ・カリーナさんの笑顔。
2 『はなればなれに』
※三人のダンス。
1 『気狂いピエロ』
※映画の限界地点。この映画のラストとゴダール監督の死が妙にリンクしてしまう作品。

ゴダール監督のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
たむ

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