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ウイークエンドのotomisanのレビュー・感想・評価

ウイークエンド(1967年製作の映画)
4.0
 燃える車を眺めながら、なんとなく同年パリでポルシェを操り損ねた画家、菅井汲を思い出した。それがどないしてん?彼はまたよく肉を食い、また食うものは毎食決まったメニューで何十年も食い続けるという塩梅で、解放戦線に参加すれば毎食ブタ、ウサギ、ガチョウたまには?ヒトも食えただろう。
 菅井も食えるヒトの肉はおそらく、ブルジョワのものだが専らオスのそれが充当されるのだろう。彼らは何となくブルジョワっぽいファセルなんかに乗って、交通秩序だ公序良俗だなんて無視しながら細君と遺産受け取りの手続きを確かめ合ったりするのだ。
 その点は重要であり、もしまんまと警察の追及を逃れれば、その遺産を身代金にして解放戦線を買収できたかもしれない。しかし、ゴダールは意地悪くも大いなる遺産の見込みでは許してくれない。
 だから、余計なオスは食われるのが妥当というか、いいものを食って筋張ることをしないそこそこ肥えたブルジョワならメス並みの肉質ともいえるのではないか?さて、菅井汲だがその作品は高額でブルジョワでなければ買うことができない。よって菅井もその同類とすべきだが彼は太ってないのである。
 瘦せた菅井が解放者に参加できるかはさておき、彼らが表明する解放地域はパリを取り囲むセーヌ・エ・オワーズ県であり、とりもなおさず、最終目的はパリ解放である。フランス最大のブルジョワ地区は間もなく、同国最大の食肉産地となり前日までの最大消費地の地位を失うであろう。なお、この映画に危機感を覚えた内務当局は同県を1968年分割改組した。
 こんな世界三大料理の名を汚す前線ランチであるが、亭主の味を確かめた細君の味覚の余韻はいつまで保たれるだろう?古来征戦幾人か帰る。頻繁な"faux raccord"「繋ぎ間違い」が予告する通り、銃を撃つ者は銃に斃れもするのである。彼女の肉も食われるか否か?アンデスのウルグアイ人たちは遂に手を付けなかったと聞く。SeOの闘士は今わの際の彼女の歌を聞き遂げ別れの接吻を交わす。どうやら彼らは唯物論者とかではないのかもしれない。
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