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冷淡な美男子のakrutmのレビュー・感想・評価

冷淡な美男子(1957年製作の映画)
3.7
ホテルの一室を舞台に、恋人の不貞や無関心をなじる女性を描いた、ジャック・ドゥミ監督のデビュー2作目の短編映画。デビュー作の『ロワール渓谷の木靴職人』とは全く異なる作品なのには、驚かされる。まずテーマが全然違う。ドキュメンタリータッチで職人技を映し出す前作に対して、本作は男女の恋愛模様(しかも破綻しているカップル)がテーマである。映像も前作は無声映画を思わせるモノクロがベースなのに対し、本作は壁の赤色が映えるカラー映像である。

さらに特徴的なのは、女性が一方的にしゃべりかけるのに対して、男性のほうは彼女を全く無視したままベットに寝転がって新聞を読むだけという内容である。なので、会話は成立せず、相手がいながら女性のモノローグになっている。また彼女がしゃべるだけなので、その内容の真偽は全く不明のままである。男性の不貞が真実なのか、彼女の妄想なのかもわからず、観客に委ねられる。30分弱の長さなので飽きることはないが、見る人によってはつまらないかもしれない。

実はジャック・ドゥミ自身も、デビュー作とまさに対極になるような映画を撮りたいと考えていた。監督デビュー後もジョルジュ・ルーキエの助監督をしていたドゥミは、ルーキエ監督の『SOSノローニャ』で主演したジャン・マレーを通じて、ジャン・コクトーを紹介される。(ジャン・マレーはジャン・コクトーと長年に渡って恋人だった俳優である。)

コクトーに会いに行ったドゥミは、彼の戯曲『冷淡な美男子』の映画化について相談し、問題ないよ、映画化の権利を君にあげるよとの返事をコクトーからもらう。本映画の原作となるこの戯曲は、コクトーがエディット・ピアフと(彼女の恋人だった)ポール・ムーリスに当て書きしたものであり、実際にこの二人によって1940年に上演されている。映画製作大手のパテ社からも、この二人が出演するのならば、資金を提供してもよいとの約束を取り付ける。しかし、エディット・ピアフは長期間のコンサートツアーが始まったばかりで、来夏にならないと戻らないと言われ、一日でも早く映画を撮りたいドゥミは二人の起用を諦める。(デビュー作の成功を見ていたパテ社もなんとか資金提供はしてくれることになった。)そして、エディット・ピアフに代わって起用したのは、舞台女優のジャンヌ・アラールである。彼女を紹介したのは、ドゥミが美術学校時代に知り合ったベルナルド・エヴァンとジャクローヌ・モローである。(本作でも舞台や衣装を担当している。)一方、ドゥミが彼らとカフェでお茶をしていたときに通りかかった素人男性をスカウトしたのが、男性役を演じたアンジェロ・ベッリーニである。

このような経緯を知って本作を鑑賞し直すと、ジャック・ドゥミの凄さが見えてくる。コクトーの戯曲はエディット・ピアフに当て書きしているので、当然ながら舞台を観た観衆が共感するのはエディット・ピアフ演じる女性のほうであろう。男性の不貞や無関心に嘆き悲しむピアフがその悲哀を切々と歌い上げることで、観客は彼女に感情移入するわけである。一方で、本作を観て、そのような感想を抱くであろうか。多くの人は、メンヘラ妄想女に付き合わなければいけない男性のほうに同情するのではないだろうか。ジャック・ドゥミはコクトーの戯曲にある台詞をほとんどそのまま使用したそうであるが、演出によってそのように仕向けているのである。(もちろん、ジャンヌ・アラールは一切歌わずにしゃべる続けるだけという大きな違いもある。)そこに彼の非凡な才能が見いだせるような気がしてならない。また、黒い衣装を身にまとった本作の女性像は、これ以降のドゥミの映画のキャラ(例えば、『天使の入江』でジャンヌ・モローが演じたジャッキー)につながっているようにもみえるのである。世間からは失敗と見なされている本作ではあるが、それ以降のジャック・ドゥミの基礎を作った映画であると言えるであろう。
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