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ラ・ラ・ランドのdm10foreverのレビュー・感想・評価

ラ・ラ・ランド(2016年製作の映画)
4.0
【「夢」は追いかけるから「夢」なんだ】

はい来た!これは鉄板でしょ!
アカデミー賞最有力候補(結果的に前代未聞のトラブルの末に作品賞を逃したが・・・)と言うだけあって観る前から期待は高まりましたが、裏を返せば期待の大きさがバイアスとなって作品そのものの自己評価に影響を与える可能性もあるな・・なんて事を考えつつの公開初日鑑賞。
さらにあまり得意ではないジャンルである「ミュージカル」。
う~~~~ん。大丈夫だろうか・・・。

そんな心配は開始1分で見事に吹き飛ばされました。
物語はLAへつ続くハイウェイで始まります。
いつものように大渋滞に巻き込まれる人々。
しかし何の脈絡もなく唐突にダンスが始まります。
ここでミュージカルが嫌いな方であれば拒絶ポイントとなるのでしょうが、突き抜けるような青空の下で色彩豊な衣装を身に纏って、躍動感溢れる圧倒的なオープニングシークエンスで「ガシッ!!!」と心を鷲掴みにされます。
このシーン自体もLAまでの大渋滞というのが「そんなに簡単にLAには辿り着けないぞ」という暗示でもあり、だけどポジティブにそれぞれの夢や目標に向かって前に進む人達のバイタリティを見事に表現した名シーンだと思います。

 そんな大渋滞の中で主人公のミア(エマ・ストーン)とセブ(ライアン・ゴズリング)もニアミスをします。前の車が進み始めているのに、オーディションの台詞のことで頭が一杯のミアは気が付きません。
そしてその後ろについていたのがセブでした。後にキーとなるあのバカでかい音のクラクションをミアに浴びせます。
お互いの出会いは最悪から始まります。
でも二人の目的地は同じLA・・・う~ん、どうなるのか期待は高まります。

『LaLaLand』という言葉は文字通りLA(ロサンゼルス)の事ですが、あえて「LaLaLand」という時は意味が変わるそうです。
一つは「現実離れした、おとぎ話のような」という意味。
これは映画を観ていて直感的に感じる人も多いのではないかなと思います。
「夢を追いかける二人」というどこにでもありそうな「古典的な」テーマでありながら、音楽や映像、特に色彩豊な衣装や背景が効果的にリアルな日常空間とのギャップを演出しています。
特に二人が急接近した映画館から天文台でのシーンは幻想的で、まるで夢の中の二人とでも言うような美しい映像でした。

 そしてもう一つの意味としては「夢見がちな人」という若干皮肉が交じった意味です。
LA(ロサンゼルス)とはハリウッドにも代表されるように『ショービジネス』の本場として、アメリカ全土だけではなく全世界から「明日のスター」を夢見て人々が集まってきます。
しかし、当然のことながらトップに辿り着けるのはほんの一握りの成功者だけで、あとは夢破れて田舎へ帰っていく人が大多数という厳しい世界でもあります。
いわば「究極に夢と現実が交差する街」でもあるわけです。
 LAの撮影所の近くにあるカフェなどでは、特に「美男」「美女」のスタッフに出会う確立が高いといいます。
これは「いつかキャスティングに影響力のあるプロデューサーや監督が来て、その人達の目に止まるかもしれない・・・」という淡い期待を持って働いている人が多いからという実しやかな噂まで流れるくらいですが、あながちそんな話も嘘じゃないんだろうな~と。
そして「明日を夢見て(現実が見えなくなって)いる人」を若干揶揄して「あの子はLaLaLandに住んでるんだぜ」と言うそうです。
う~ん。言い得て妙な部分もあり、この映画でも「夢」の終着点に残酷な現実を持ってくるあたりが「LaLaLand」という世界に住む人達の切なさを絶妙にあらわしていたと思う。

 でもその(現実の厳しさ)だけを突き付けて終わるのなら普通の映画ですよ。
そこに捻りを持ってきたあたりにこの監督のポテンシャルの高さを感じました。具体的にはやはりラスト7分ですね。
それまで~夏~秋~冬~春と季節と共に色彩や背景を変えながら、微妙なバランスで二人の関係や心の動きなどの細かい描写を入れていたのに、最後だけ「5年後」。
そう、日々の暮らしの中で手に入れる些細な幸せや葛藤とは桁が違う、劇的な変化が起きていることを暗示する期間の経過ですよ。

「あの二人はどうなったのかな~?」と期待半分、もしかして・・・半分。

結果は・・・ミアは最後のオーディションで見事に夢を掴み取り、パリで女優活動をスタートさせていました。
そして今やカフェで「待つ側」から「待たれる側」へと変わっていたのです。
仕事が終わり帰宅するミア。迎えてくれる旦那さんはセブ・・・じゃない!?
そう、彼女は成功と引き換えにセブとは別れ、いわゆるセレブリティの世界に生きる人になっていたのです。

じゃあセブは?
ミアはたまに取れた休暇を利用して旦那さんとデートに出かけます。
しかしハイウェイはいつものように大渋滞。ミアは予定を変更しあっさりハイウェイを降りて食事に出かけます。
まるで「ハイウェイが連れて行ってくれる輝く夢の世界は手に入れたからもう必要ない」と言わんばかりに・・・。
そして食事の帰り、どこからともな聞こえてくる演奏に引き寄せられる夫婦。
「寄って行こうか?」「うん」何気ない会話。
しかしミアはすぐに気が付きました。

『SEBU`s』

そう、セブと二人で夢を追いかけていた頃、自分のお店を持つことが夢だったセブの為にミアが考えた店の名前とロゴアート・・・。
当時は「そんなのダメだ」と一蹴していましたが・・・セブは忘れていなかったのです。
この時のミアの心境はどうだったのか・・・。自分だけが夢を叶えたことにどこかで負い目を感じていたのかな・・とも思ったけど、それまでの幸せそうなシーンでは過去を思うような「物憂げ」な描写はなかった。つまり、セブのことは「遠い思い出」として心の引き出しにしまったまま、もう何かきっかけでもない限りだすことはなかったのかもしれない。
ドライかもしれないけど、住む世界が変わるという事はそういうことなのかもしれないと、ちょっぴり切ない現実を感じる瞬間・・・。

お店はセブがやりたかった音楽が好きなだけ出来る「念願の我が家」。
楽しそうに仕切っているセブはやがて店に客として訪れている「ミア夫妻」に気が付きます。

さあ、ここからラストまでの7分間。きっと泣いてしまうと思います。
でもどうだろう?
「最終的にすれ違ってしまった二人の淡い恋の終わり」と言う淡泊なエンディングだっただろうか?

セブのピアノソロに合わせて流れる出会いからの回想シーン。
でもちょっとずつ何かが違う。

「あの時ああすれば・・・」
「あの時ああ言えば良かった・・・」

今となっては戻ることの出来ない過去に想いをめぐらせます。
あれはセブの回想のように描かれていましたが、実はミアも同じ事を考えていたのです。
別に歯車が狂ったわけではない。
でももしかしたら違った「今」があったのかもしれない・・・と。
二人がお互いを最大限に思って取った行動によって夢を手に入れることが出来た代わりに、ポッカリと心に空いた大きな穴。
万感の思いを胸に見つめあう二人。
もう言葉は必要ありません。あの微笑に全ての感情が凝縮されていました。「おめでとう。そしてありがとう」と。

ストーリー自体はいわゆる「サクセスストーリー×ラブストーリー」という古典的かつ王道の内容ですが、繊細な音楽と華やかな色彩が尚更切なさを引き立てます。

好き嫌いは個人の価値観の問題なので置いておくとして、名作と呼んでも良いのではないかと思います。
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