エクストリームマン

500ページの夢の束のエクストリームマンのレビュー・感想・評価

500ページの夢の束(2017年製作の映画)
3.8
please stand by.

物語の世界に浸り尽くすこと、そして物語ることが救いと闘い(それはほんの手の届く距離の何かに手をのばす類の、個人的で最も切実な闘いだ)そものとなることを思い出させてくれる映画。

どうしようもない事柄、どうしようもない境遇、どうしようもない瞬間にこそ刺さる言葉や物語があり、主人公のウェンディ(ダコタ・ファニング)には(勿論、彼女以外の多くのトレッキーにとっても)スター・トレックこそがそれだった。横断歩道を渡ることにさえ怯える(自分を抑制する「ルール」からの逸脱と、それによって齎される癇癪によって他者を傷つけることへの極端な畏れをウェンディは抱いている)彼女が、ルビコンを渡ったのは、ひとえに最愛の家族と「再会」するためだ。そんな彼女の決意と切実さを知る由もない周囲の人々は戸惑い混乱するが、ウェンディの論理は一貫してブレがない。本作が面白いのは、ウェンディが一貫しているがただ愚直なだけのキャラクターではない、という点だろう。それは、自閉症のキャラクターをどのように描くのかということとも表裏の関係にある。ウェンディは自閉症故の特質を誇張したような天才的なキャラクター(個人的に、同日に鑑賞した『ザ・プレデター』の無邪気な描き方とは好対照)や奇人ではなく、日常生活を送るのには大変な困難を抱えてはいるが、機知とユーモアに富んだアツい人物である。観客は彼女の奇特に映る部分に惹かれるのではなく、彼女のひたむきさや意志の強さ、行動力にこそ惹かれるのだ。

主演のダコタ・ファニングは目の演技が素晴らしく、目線の向きだけでなく、その場面ごとに目の表情を変える(表情はほとんど変えない)という謎の技術で見事にウェンディというキャラクターを体現していた。24歳だって!

主人公ウェンディ以外の登場人物も皆良くて、ソーシャルワーカーのスコッティ(トニ・コレット)のキャラクターの絶妙さ、息子との距離感とか、諸々がよい。彼女がウェンディのよき理解者であることを示す仕方もうまいなと思う。また、本作の陰の主役でもあるウェンディの姉:オードリー(アリス・イブ)は、キャスティングが本家スター・トレックへの目配せというだけでなく、ウェンディのような妹とどのように向き合えばよいのかという答のない問を抱えたキャラクターとして物語の背骨を成している。この物語の終わりは、オードリーの物語のはじまりでもあるのだろう。レミーの声ことパットン・オズワルト演じる警官は美味しい役だよなー。

大作ではないし、派手なことも起こらない映画だけど、こういう作品を年に何本かは観たい。