nt708

サリヴァンの旅のnt708のネタバレレビュー・内容・結末

サリヴァンの旅(1941年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

私は普段、コメディ映画を観ない、、というより観なくなった。特に最近のコメディ作品はどうも笑いのツボが合わず、これのどこが面白いのだと観ていて損をした気持ちになるからである。しかし、コメディ映画は多くの場合、その時代に対する痛烈な風刺が隠されている。そういった社会風刺が効いたコメディ映画であれば、その映画の主張は何なのかを考えられるから、観ていて得をした気分になれるのだ。本作も風刺が効いた映画の例外ではない。コメディというジャンルをどこか見下しているハリウッドの雰囲気、人の苦しみをわかったつもりになって振舞うインテリや金持ちの存在への批判精神がスクリーンから溢れ出ているのである。

貧しい暮らしをする人々にスポットを当てた映画を作ろうと映画監督のサリヴァンは貧困街へと旅に出る。彼もまた「現実の世界に生きられない」ハリウッド側の人間。旅路での振る舞い、特に金を配るところなんかは見るに堪えない。しかし、刑務所での生活と教会での上映会を経験したことで、最後には「人の苦しみや悲しみなど到底理解できない」ということを理解し、コメディ映画を作り続けることを決意した。その彼の変化が何よりの救いであるし、そういった彼の変化に気づくこともない周りの人間がいかに愚かかが明快に描かれている。

もちろんコメディ以外のジャンルもそれぞれに存在価値がある。しかし、どのようなジャンルの映画を作るにしても、そこに登場するあらゆる存在の表層から深層まで理解して作らねば(あるいは、理解しようとして作らねば)、その作品はどこか偽物のように見えてしまう。だからこそ、本作は、映画とは元来作りものではあるものの、そこで描かれている存在は本物でなければならないという当たり前すぎて誰もが忘れていたような主張をもう一度やろうとしたのではないだろうか。

人を傷つけて笑いをさそう空っぽなコメディはまっぴらごめんだ。お涙頂戴の演出で無理やり泣かせようとするドラマにも、もううんざりである。本作のような愛に溢れたコメディ映画をもう一度、多くの人に観てほしい。こういうauthenticな映画であれば私も大歓迎である。
nt708

nt708