エクストリームマン

ディーパンの闘いのエクストリームマンのレビュー・感想・評価

ディーパンの闘い(2015年製作の映画)
4.0
「あなたはタミル語でも面白くない」

内戦続くスリランカから家族を装って脱出し、フランス社会の最低部に潜り込んでなんとか生活をはじめた3人が、ぎこちない、偽りの関係から真の家族になろうとする話……ではあるけど、この映画はそれをバランスよく描こうとは決していなくて、寧ろ主人公であるディーパンにかなり重きが置かれている。家族3人、最初は全く言葉のわからないフランス社会でそれぞれ苦労はするけれど、ディーパン以外は馴染んでいくにつれて存在感が薄くなっていく。特に“娘”のイラルヤは、後半殆どと言っていいほど画面に登場しなくなる。それは、彼女が通う学校の中にそれなりに居場所を見つけたからだろう。

対照的にディーパンは、戦火を逃れて来た上、持ち前のDIY精神と技術によって普通以上に「団地の管理人」という仕事を上手くこなして信頼を勝ち得ていたが、心の居場所を見つけられないままだ。寺院に行って“妻”ヤリニとイラルヤは熱心に祈っている中、ディーパンだけは居心地悪そうに辺りを見回している。いつまで経ってもフランスに馴染めないけれど、それでもやっと得た居場所を失うまいとしてもがくディーパンの姿は痛々しくもあり、その不屈さに感動もさせられもする。

西欧社会になんとか溶け込もうとする移民・難民の物語であると同時に、元兵士の物語でもあるが、テンプレートな元兵士や帰還兵のようにディーパンが悪夢に魘されて悶え苦しむような描写はない(それは他のキャラクターに託されている)。彼の孤独と疎外感はより根源的で、ひょっとしたらそれはどこへ行こうとも、その場所に行っただけでは癒やされない類のものなのかもしれない。彼はフランスに来る前から孤独で、来てからもやはり孤独なままだ。ただ唯一、ヤリニとイラルヤとの“家族”には、半ば心を許しはじめていたが……

ヤリニが家政婦として働きに行く部屋の住人:ブラヒムもまた、フランス人であるとはいえ(恐らく)移民の子であって、フランス社会に居場所のないアウトサイダーであることは、ヤリニと共通している。団地の窓から見える景色に、そしてブラヒムに対して夢見るような視線を送っていたヤリニも、彼の足首に巻かれたGPSの楔と団地では日常の銃撃事件でこの場所が決して安全ではなく、自分が未だ戦場から逃げきれていないことを悟るのだ。

全てが終わるかに思われたその時、尾を踏まれた虎が団地へ帰還する。ここに至って、この映画が実は『タクシードライバー』や『96時間』でもあったことが判明する。この豊かさは、凄い。極めて政治的な主題を扱いながら、ジャンル映画の枠組みをそこに持ち込んで見せる監督の大胆さに感服した。いや、寧ろ逆で、ジャンル映画の枠組みの中に色々な要素を破綻なく持ち込んだのかもしれない。とにかく、どんな映画も料理人次第だということがよくわかる。