otomisan

太平洋の地獄のotomisanのレビュー・感想・評価

太平洋の地獄(1968年製作の映画)
4.1
 戦闘後の廃墟の中でも、勝ち負け無しな感じの安堵をいっとき過ごして、さあどうなる?深まる酔いの中、懐想の内からも手元足元からも戦争は抜けないぞ。
 戦争資源ほぼ皆無の無人島に漂着した米日軍人各1名が互いのジリ貧を了解するまで、木刀とナイフのにらみ合いから、兵站攻撃、心理戦、ショーベン攻撃まで用いて捕虜にしたりされたりする。これが滑稽だったり茶番めいたりもするんだが、つまりは二人とも相手を殺せないタチなわけで、それは間違いなく敵地進出時の戦術的要諦から外れているのだ。この事を理解するのが重要だ。この結果、互いに捕虜扱いに困憊し、自動的に休戦状態になる。1968年当時の二大国間では冷戦といったが、案外、個別的平和の追求と暇つぶし的?妨害活動に習性の類似を認めたりする。しかし、なにをやっても今のジリ貧は何も変わらない。だからこそ共同作業がいいのだ。米ソ間でも後年、地上を離れ宇宙共同活動をやったように。しかし、狭いジリ貧島を出るのが良いのか?
 負けなど認められないが、相手を殺せないくらいだから勝ち名乗りもあげられない。お互い一人では人殺しなどできない二人がどうすれば再度、戦闘員として復活できるだろう?左様、転戦するのだ。呉越同舟。奇妙にも二人の転戦は敵同士協同の筏づくりで始まる。
 戦時下に二人だけの、勝より先に逃れなければならない世界がぽっかり空いたかのように見える。生を取り戻すというのか、現実には戦場に回帰する事になるのだが、それでも死命を制してここを離れたい。このあたりから見てるこちらも二人一緒が当たり前になってくる。食い違いながら筏を組んで、共に漕ぎ出し、敵か味方か知れぬ接近機をも避け、いつでも互いを海に突き落とせるのにそうもせず、ただ回生だけを念じて相棒?を思い遣ったりする。こんな、結末が怖くなるような、退屈でもいいから先延ばししたいような展開は当然裏切られる。
 三船は無論、"天皇の赤子"で無く、"帝国軍人"でも無く、"God"無き不可解世界の精兵らしいとして扱われている事は留意すべきだろう。この簡略化された日本人は、1968年当時GNP世界第2位のフジヤマ・ゲイシャ国の別の面を表し、L.マービンもそんなつもりで三船に迫るのだ。漂流の末にたどり着いた戦跡の元日本軍野戦病院で、奇妙にも二人とも軍籍にありながら相手を敵兵とはみなしていない。しかし、互いの地金を実感しつつも今日までの相手の成り立ちと背負ってきた文化のありようを全く知らぬままなのである。酒とたばこと"乳製品"の助けも及ばず、依然敵味方の帰趨の判然とせぬ中、この分からなさを発端に、共に死地を脱したばかりの二人のわたくしの心が初めてぶつかり合う。"God"を問うLeeと"TIME"に憤りを抑え難い三船の再び擦れ違うその時、何れかの砲弾が着弾する。
 戦時と知りつつ軍務を忘れた二人の消息はまさに1968年の米日に繋がる。冷戦下、こころの内は分かり合えずとも呉越同舟。はたまた、復讐する敗戦国。合衆国から見た日本は必要な駒であっても、馴らし切れない狼のようなものかもしれない。それでも何れ犬のように切っても切れない仲になると思っていたんだろうか。何れの射弾か知れない炸裂の中、またわたくしを捨てて互いが服属する社会から共に離脱をはかるのだ。
otomisan

otomisan