エクストリームマン

イコライザー2のエクストリームマンのレビュー・感想・評価

イコライザー2(2018年製作の映画)
4.3
There are two kinds of pain in this world.

※ネタバレしてます。

ロバート・マッコールの帰還。鬼神の如き強さと前作で語られなかった彼の過去を物語ることは、その神性を削ぎ落としかねないわけだけど、本作ではロバート・マッコールというキャラクターを十分掘り下げつつも、狂気と一体化した彼の”イコライズ”はそのままに、といういいとこ取りが結構うまくいっていて、前作とはベクトルが異なっているものの、これはこれでとても楽しかったし、見事な続編だと思う。何気にデンゼル・ワシントンが続編に出るのも初だとか。

舐めてた相手が、実は殺人マシンでしたモノの続編として考えると、『ジョン・ウィック2』が世界の果てまで隅々まで殺し屋に満ちたパラノイアの極地へと拡散していく方向に展開していったのとは対照的に、兄弟以上の関係性を築いていたかつての仲間や自身の過去と闘い、泥臭く身近な人々を救う展開は、無双の軽やかさや気楽さからは程遠い。ホームセンターで働く闇の天使がliftの運転手に転職したのは、彼が以前よりも人々と交流しようとする気になった証だ。彼は”普通の”人になってしまったのか?…などという疑問は、冒頭のトルコ鉄道の場面を通過している観客は抱くはずもなく。相変わらず「正義の活動」に勤しんでいるマッコール氏がイスタンブール行きのトルコ鉄道に乗った根本的な理由は「行きつけの本屋が閉店しそうだったから」である。街に溶け込んでいそうなフリをして、全く溶け込んでいない。単に狩りのスタイルを、蜘蛛のような待ちの姿勢から、自ら飛び込んで狩り尽くす猛獣スタイルに変えただけだ!liftドライバーとして街をうろつきながら爛々と目を光らせる熾天使マッコール。そんな彼の尾を踏みつけたかつての同僚たちにどんな事情があろうと、家族がいようと、許される筈なんて最初からないわけで。

ロバート・マッコールの狂気が劇中最も炸裂するのは、戦闘場面ではなく、かつての同僚デイブ・ヨーク(ペドロ・パスカル)の家を(予告もなく)尋ねて、デイブの娘二人とハイタッチする場面だろう。楽しそうにぴょんぴょん跳ねているマッコールにまとわりつく不穏さと不気味さは、その後デイブの家の前でかつての仲間全員と対面する場面へと引き継がれる。デイブの妻に駅まで送ってほしいと頼み、デイブの娘を抱き上げ(どう考えても弾除けだ)て陽気に去っていく彼を見た時点で、デイブは諦めるべきだったのだが、まさしくその家族を養い続けるという動機に縛られて彼は対決から抜け出すことができない。また、後から考えてみてお笑いでしかないのは、デイブがマッコールを説得しようとして持ち出す「最早世界には善も悪もないのだ」論である。仮にその論に説得されるような人間であったなら、ロバート・マッコールは死を偽装してCIAの「首狩り人」を辞めるようなことはなかっただろうし、あの段階でわざわざデイブの家を訪ねたりなどしなかった筈だ。そのことに思い至れなかった時点でデイブたちの敗北は決定的なわけだけど、追い打ちをかけるように実践でもロバート・マッコールは圧倒的に強くて、結局CIA云々ではなく、単にロバート・マッコールという個人が化物だったということが改めて浮かび上がるようになっている。完全武装して人質まで取っていた舐めてかかってこなかった奴らも結局皆殺しにされるわけで、ロバート・マッコール個人の物語は安らかな方向へ向かうものの、そのことによって炸裂する暴力のコントラストがより強まっていて、結果として前作よりも安らかに、暴力的になっていくというアンビバレントな境地に到達しているように思う。