netfilms

ハッピーアワーのnetfilmsのレビュー・感想・評価

ハッピーアワー(2015年製作の映画)
4.4
 通算5回目の鑑賞ながら苦痛の317分にならず、至高の317分となるのは今作と私の感性とが完全にウマが合ったからだろう。4人の女性の受難と連帯の歴史などと言えば聞こえは良いが、それぞれがそれぞれの関係性の中でもがき、何か人生を動かそうとする。神戸在住のあかり(田中幸恵)、桜子(菊池葉月)、 芙美(三原麻衣子)、純(川村りら)の4人は、37歳を迎えた親友同士で、桜子と純は中学からの付き合いであるものの、あかりと芙美は30歳を超えてから知り合った。久々に集まり、近々旅行しようと相談し合う4人。屈託なく話す一方で、それぞれ親友にも話せない悩みや不安があった。専業主婦の桜子は最近同居し始めた姑との関係に気を遣う日々。アートセンターPORTOに勤めるキャリアウーマンの芙美は、編集者の夫と表向きは仲が良いが、夫との間に言いようのない不安を感じていた。バツイチの看護師あかりは多忙な毎日を過ごし、病院で知り合った男性からアプローチされても恋愛する気になれない。ある日、4人はPORTOで開催されたアーティスト鵜飼によるワークショップに参加し、打ち上げに流れていく。その席で純は、1年近く離婚協議をしていると告白。戸惑いを感じる3人。やがて3人もまた人生を大きく揺るがす局面を迎える。

 文字通りテキストの氾濫というかテキストの洪水と呼ぶ方が相応しいか?前半の心底とち狂った狂信的なワークショップを俯瞰で冷静に眺める濱口竜介の視点がもの凄い。何と言うか完全に常軌を逸している。あらかじめ滑らかに綴られる脚本こそが作劇の肝とするならば、今作の脚本はそのまったく逆を突くような静かな不穏さが漂う。37歳を迎えた親友同士の4人は個の時間を大事にしつつも、しばしば外野に足を引っ張られて行く。然しながら人と人との出会いは一期一会で、全てが誠実に向かうべきものだから、37歳を迎えた親友同士の4人はテキストに導かれるようにその都度、誠実に答えを返して行く。当初は不器用でぶっきらぼうな演技に見えた4人の演技が徐々に熱を帯びる辺りはカメラを向ける濱口竜介の勝利で、ここには四者四通りのしがらみと自由への開放がありありと感じられる。大島渚の映画のような奇妙な対話劇はシークエンスが変わる度にその都度、異次元へと向かう。ワークショップから打ち上げ、そして朗読劇へと向かうテキストへの異様な拘りは確かに濱口竜介だけに赦されたスパルタ・シットで、間延びする時間それ自体が映画的な快楽を有す。私はこれ程までに列車における価値の転倒をあからさまに表現する監督を私は知らない。拷問のような長尺の中に何度も祝祭空間が訪れ、何度観てもハッとさせられる。
netfilms

netfilms