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蜜のあわれのkaomatsuのレビュー・感想・評価

蜜のあわれ(2016年製作の映画)
3.5
またまた「音楽から映画へ」的な内容で失礼します。

国内のポピュラー・ロック系ミュージシャンの中で、最も人手不足なのが鍵盤プレイヤーだという。クラシック音楽ではピアニストは多いが、ロックやポップスの分野で求められるような、ブルーズやゴスペル、ブギウギ、ファンクをルーツに持ち、柔軟に対応できるピアノ/キーボード・プレイヤーというのはかなり希少なだけに、その手の名手は、多くのアーティストたちに引っ張りだことなる。そんな超多忙な人物の一人が、森俊之氏だ。日本を代表するキーボード・プレイヤー/作編曲・アレンジャーであり、吉田美奈子を筆頭に、井上陽水、角松敏生、スガシカオ、宇多田ヒカル、椎名林檎etc…錚々たるアーティストたちから最高の賛辞と絶対的な信頼を得ている、プロ中のプロだ。そうしたサポート活動に加え、元プリンスやシーラ・Eのバンドメンバーたちと共に結成された、日米混合ファンク・バンド「Nothing But The Funk」では、超ド級のファンク・キーボードを炸裂させている。このバンドは、ジェームズ・ブラウン→スライ&ザ・ファミリー・ストーン→Pファンク→プリンスの血筋を受け継ぐ、モロに正統派のファンク集団だ。森俊之氏の大ファンである私は、彼の参加するバンドのライヴに足繁く通っているうちにすっかり顔を覚えられ、僭越ながらも、ご本人に感想を言うのが毎回のパターンに。たいがいは、スゴすぎて言葉にならないのだが…。天才プレイヤーらしからぬ、ものすごく腰が低くて丁寧、かつ気さくな対応をされる方なので、ますます好きになってしまうのだ。

2016年、その森俊之氏が都内某所で、サウンド・プロデュースについてのワークショップを開催した。私は行かれなかったのだが、参加した知人の話では、初めて森氏が全編サウンドトラックを手掛けた映画のことや、映画に音を付けるにあたっての、具体的な方法論やイメージトレーニング法などを講義したそうだ。その映画こそ、本作『蜜のあわれ』だ。石井岳龍監督からは、「小津安二郎監督作品のサウンドトラックをイメージしてほしい」という注文を受け、小津作品を片っ端から観まくり、自分なりのアプローチをしたという。どんなサウンドトラックに仕上がっているのか、さっそく映画館に向かおうと思ったものの上映終了、DVDもまだ発売されていなかった。程なくして森氏出演のライヴにて、『蜜のあわれ』のテーマがピアノ・ソロで披露された。彼のお得意であるファンク・R&B路線は完全に影を潜め、ミシェル・ルグランやピエール・バルー、坂本龍一などを連想させる、ヨーロピアンテイスト溢れる美しい調べに歓喜した。ますます観たくなり、DVD化を待つうちに、他に観たい映画があったこともあり、ついつい観るのを後回しにしてしまっていた。

で、先日ようやく鑑賞。うん、実にヘンな映画だ。もっと官能的な退廃美が堪能できるかと思ったら、意外にポップでシュールな作品だった。二階堂ふみ演じる赤子は、ひたすらコケティッシュ、人間でもあり金魚でもあるという、大胆な役柄を嬉々として演じている。この赤子と、老小説家との奇妙な男女関係を描いた作品だが、老小説家を演じた大杉漣の翻弄されぶりも、永瀬正敏の謎の金魚売りもグッド。あえて時代考証まる無視のセリフや音楽も笑える。個人的には、老小説家への想いから化けて出てきた真木よう子のツンデレ幽霊が一番良かったかな。ほとんどストーリー的には意味のない、赤子と幽霊の「金魚ダンス」がけっこうツボだった。特に深い感動や情趣は得られなかったものの、楽しめたような、そうでもないような…。改名前の石井聰亙時代から持っていた、石井岳龍監督ならではの、とは言え、いつもとは異なるブッ飛び感が(本作は“プチ”ブッ飛び?)、室生犀星の原作小説のもつ不条理さと邂逅し、弦楽器アンサンブルを多用した森俊之氏の抑制の効いたスコアも併せ、観る者をおかしな世界へといざなう、可愛らしい怪作。鈴木清順監督の世界観にちょっと似てるかな。
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