チャンミ

エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中にのチャンミのレビュー・感想・評価

4.0
野球部特待生として大学に進学したばかりの、主人公の若者が入学3日前に、部員の共同生活のための一軒家に訪れるところからはじまる。
この3日間の酒とセックスと音楽にまみれる体育会系なから騒ぎが、若さゆえの痛々しさ、なんて割り切れない悪ノリに過ぎて、ついていけない。
たとえば、じぶんが声をかけた女の子がつれない態度だと「レズビアンにちがいない」と腐す具合で、男権なヘテロセクシズムむきだし。
このへんをくすくす笑い続ける観客にわたしは引いてしまった。

80年代の音楽を散りばめ、明るいムードが一見漂うけれど、こういう閉鎖的な男根主義コミュニティに、現在のアメリカのみならず日本にも通じる反知性主義的社会の根のひとつを見る思いで、リンクレイターの怖さを感じた。
こうした閉鎖感を能天気に笑えるか笑えないかで、なにか人間の在り方が試されているような気がする。
今の日本やアメリカの現状を前にすると、演劇や文学に力があるとは言いがたく、劇場に足を運ぶような人々が、むかしなつかし(笑)なバカ騒ぎ! 、と嘲笑してていいのか。
登場人物たちのような若者が歳をとると、今のアメリカでは50代から60才手前である。

こうした劇場の雰囲気にげんなりしつつ観賞していたら、ヒッピーの系譜にいるような宇宙に傾倒する神秘主義的な先輩や、入学前の3日間に地元に戻っていたため部の悪ノリムードに染まっていない新入生が出てきて、変数を示唆する。
主人公も、たまたま知り合った演劇を学ぶ女子学生の影響で、知性にふれはじめる。
こうして作品の構成は、『6才のボクが、大人になるまで。』(この邦題の「ボク」の表記と句読点が気持ち悪くて口にしたくない)のように、時間の流れの残酷さと、流れてゆくゆえの救いの可能性を感じさせるし、また、なにげない日常の会話の応酬から成熟への気配もうかがえてくるが、ことさら強調しない無常観はビフォアシリーズにもつうじる。
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