チャンミ

プロミシング・ヤング・ウーマンのチャンミのレビュー・感想・評価

4.6
主人公のキャシーは昼はコーヒーショップで働き、夜はクラブで泥酔したように見せかけ、その状態の自分を連れ帰りレイプしようとする男に制裁を加えている。と書いたがこの映画の巧妙な点は、そのシーンはじめ、直接的な暴力を一切描いていない点だ。キャシーがそのような日常に陥るきっかけとなった、古い友人で共に進学した医大でレイプ被害にあった後死んでしまったニナの、その事件自体も映し出さない。
残虐なシーンに対する好奇心から、フィクションとはいえわたしたち観客は「どう描くのだろうか」と期待してしまうが、暴力の描写はトラウマの喚起となりかねない。そうした注意深いエメラルド・フェネルの演出に対して、「臆している」とか「表現の自由が」と思う人もいるかもしれないが、まずは現実を生きる人間の尊厳こそ尊重されるべきであって、表現によって誰かが傷つくだけに終わる懸念があれば取り除かれて然りだし、という「つまらない」と思われかねないガイドラインなどものともせず、フェネルはむしろ新しい表現の可能性を切り開いている。

巧みなのは脚本だ。言葉でほとんど説明せず、物語はシンプル。キッチュすれすれのパステルカラーのビジュアルは「事件以降のキャシーの中の時間の停止」を示唆しているし(この点はキネマ旬報7月下旬号の児玉美月評に詳しい)、彩りを与えるポップソングは、29歳から30歳になるキャシーとその同世代の登場人物たちがティーンのころ親しんだだろう、つまり心理的に影響を与えた浮ついた気分の反映ではないかと思わされる、そんなホンの隙間を縫っていく演出の力にも唸らされる。脚本上の構成を、スリラー、シリアスなリベンジ映画、ラブロマンス、ブラックコメディなどジャンル横断しながら、リアリズムではなくある種の寓話である大衆映画として仕上げていくフェネルの間口を広くとる寛大さは、しかし、現在も引き続くレイプの深刻さや、それらが起きる社会の、異性愛規範に基づくの(白人・シスジェンダーの)男性中心主義という厳しい状況についてふれてもらうための要請に依拠した技巧であり、だからこそ、要所要所でキャシーのエモーショナルな内面が発露するとき、「この映画を撮らなければいけない」という切実さを感じ、胸を打たれた(具体的には学長面談の後と、クライマックスに向かうくだり)。

キャスティングは、単にできあがったキャラをそれに適当な役者に配しただけでなく、その役者の顔立ち、身長、ジェンダー、人種や、作中では説明されない役者個人のプライベートな情報などもふまえて、受け取り手のリテラシーに応じて読み取り方に幅と深みをもたらすような采配になっている。
キャシーが「狩る」男たちについては、パンフレットの山崎まどかコラムに譲るとして、わたしが関心を寄せたのはキャシー役のキャリー・マリガンと、キャシーのコーヒーショップの同僚・ゲイル役のラヴァーン・コックスだ。童顔で背もそれほど高くはないマリガンを通したキャシーは、(特にマリガンのような金髪の)白人女性に伝統的に付されてきた、「性的欲求のない無垢な聖女」として客体化される規範の、象徴としてかたどられている。何度か反復される、(時にパステルカラーのポップなかたちをした)宗教画の図像のようなカットは、人種主義と紐づいたジェンダー役割規範が想定されてのことだろう。
人種主義と言えば、黒人女性であるコックスの配役も興味深い。すでにコックスの存在を知っている人ならば、マイノリティである彼女が物語においてどういう役割を引き受けているのか考えてみてほしいし、コックスのキャリアを知らない人にはぜひ『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』で彼女が切り開いたキャラクターと(これまでも存在していたが聞かれることのなかったからこその)新しい物語の可能性にふれてほしい。コックス自身が、これまでハリウッドで積み重ねてきた、自分のような「黒人」「女性」などの複合的な被差別属性の人々の就労環境の改善のために闘ってきた現実のキャリアを考慮すると、このゲイルという役柄の慈しみやほとんど説明なく「ただそこにいる」ことの価値ははかりしれない。キャシーとゲイルをめぐるキャスティングやキャラ造形とドラマトルゥクには、PCの「お利口さ」の遥か向こうを行く、クリエーションの実践による刺激に満ち満ちている。

どの立場の誰が、この物語を通してふれられる、女性が置かれてきたジェンダーや人種主義に基づく不均衡に関連した諸問題の、エンディングの先も引き受けていくか? という視点は、先述の児玉美月評でもふれられている。この視点は、単に異性愛主義のシスジェンダーを前提とする「男/女」をジェンダーに関わる諸問題とするのではなく、人種、経済性、出身階層、生育地域・国、就学や就労機会などによる「差」を持つ、多様な女性たちの物語に開かれているということを示唆してもいるし、フェネルの狙いもそこにあるのだろうと確信した。

傑作だと思います。
チャンミ

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