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バービーの秀ポンのレビュー・感想・評価

バービー(2023年製作の映画)
3.8
よく出来てて面白かった!

一見するとこの映画は女の支配するバービーランドと男の支配する現実世界を対比させているように見えるけど、実際にはそういう構造にはなっていない。

現実世界というには、セントラルシティの様子はあまりにも戯画化されすぎていた。
・バービーを不躾な目で見る見る街の男たち
・男の役員しかいないマテル社の会議室
・ケンが目撃し感化される「強い」男達!
特に会議室での耳打ちや、脱走するバービーを追いかけるオフィス内での追いかけっこなんかは、明らかに現実世界を表現しようという演出ではない。

実際には、この映画は以下の3つの世界で構成されている。
1.現実世界
2.現実を覆う「男の世界」
3.男の世界の反転として存在するバービーランド

見落としがちなのが1と2の二つの世界だ。
現実世界の上に「男の世界」というフィルターが乗っていること。つまり、バービーランドと対比される男の世界もまた虚構であるということを認識しないと、色々と取りこぼすことになる。
(念のため、ここで男の世界に対して使っている虚構という言葉は、実際には存在しないという意味ではなく、それを正当化する根拠がないもの、オプショナルなものという意味で使っている。)

では「男の世界」の基底になっている現実世界はどこに描かれているのか。
それはバービーが最初に涙を流した公園だろう。遊ぶ子供や悩む人、そして隣のベンチに座る老人。あの場では、人間がただ人間として存在していた。(映像的にも、あの公園の映像はバービー世界や男の世界とは異なる、自然なトーンで撮られていた)

映画の中盤から終盤にかけて、ケンは女尊男卑だったバービーランドに革命を起こしてケンダムを興し、バービーはそれを鎮圧しようとする。
これは我々の世界で起きている流れを、男女を反転させて再現したものだ。
(男尊女卑へのカウンターとしてフェミニズムが盛り上がった後に、さらにそこへのカウンターとして男達が「フェミニスト≒ヒステリー」みたいなレッテルを使いだす。みたいな)
もしもバービーランドと男の支配する世界の二つしか世界がなかったとしたら、ここでバービーがケン達を鎮圧して、めでたしめでたしで終わることになる。これだと男女の立場を逆転させて終わる、現実へのカウンターとしてのフェミニズム映画になる。
しかし、ここで(マーゴットロビーの)バービーと(ライアンゴズリングの)ケンは、人が人として生きる現実世界の生き方を選ぶことで和解することに成功する。
そしてバービーは現実世界を生きる選択をする。

人が人として生きる現実世界がまずあって、男の世界はその上に乗っかっているだけだとすることで初めて、
「男だとか女だとかじゃなくて、一旦自分自身としてこの世界を生きてみませんか?」
という、映画の最後に提示される結論が可能になる。
それを成立させたこの映画はよく出来てるなと思った。

──その他、細かな感想。

・隣の席はピンクの服のカップルだった。彼ら以外にもピンクの服の観客はかなり多く、熱量あるファンが実在して、しかもこんなに大勢いるのかと驚いた。

・冒頭の「2001年〜」オマージュのシーンで笑った。焚き火を見つめながら歌うくだりも好き。

・「マーゴットロビーが言っても説得力ないよね」みたいなナレーションも笑った。確かにそう。

・ブラジル人の友人と見に行ったんだけど、友人は我慢できずに先んじて見ていたらしい。映画を見る前に最近読んだ本の話をしていたので、くだんのシーンではかなり恥ずかしい思いをした。
ブラジルでも大盛り上がりだと聞いて、バービーってマジで全世界を制圧してるんだなと思った。

・予告の時点で既にめっちゃ面白そうだった。
違う現実を生きる、周囲からは狂人にも見える人間としてマーゴットロビーは適役すぎる。
それに「Make Your Own Kind Of Music」が良すぎた。

・「バービーであることをやめて人間として生きても良い。その決断に創造主の許しなんていらない」ってことを創造主に言わせるんだ……。みたいに終盤に若干のモヤつきはある。
途中で出てきた「バービーが女の生き方を窮屈にしている」って糾弾に対しても満足のいくアンサーが出てるとは思えなかったし。

・「一般人のバービー?何を言ってるんだ馬鹿らしい」「でも多分売れますよ?」「良いね👍」みたいなくだりは面白かった。

・マジでどうでも良いんだけど、自分の中でバービーとビーバーがごっちゃになっていて、友人にこの映画の話をするときには毎度一か八かの2択を強いられている。
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