賽の河原

アイリッシュマンの賽の河原のレビュー・感想・評価

アイリッシュマン(2019年製作の映画)
2.7
朝からぶっ通しで10話分くらいアニメの『鬼滅の刃』を見てるんですけど、意外と研修みが出てきたというか。26話もあるんすね。まだ半分も行ってないという...
先日も書きましたけど本作『アイリッシュマン』、Netflixでスコセッシが撮った映画ということでね。もう劇場でかけることをあんまし配慮しなくていいってことも含めて209分とかいう長尺の映画ですよね。もうここまで来たらさすがに上映時にインターミッション入れられないもんですかねぇとも思わないでもないですが。
もう批評的にすごく評判がいいのは百も承知で感想書きますけど、やっぱり「なげーよ」っていう感じなんですよね。映画偏差値低いマンだからやっぱり長い。
別に長い映画ってだけでアレなわけではないんですけど、この映画って、まあ長回しの素晴らしいシーンから始まって「これからスコセッシのいい映画が始まりますよ〜?」っていうテンションで始まるんですよ。
ところがこの映画って、例えば『グッド・フェローズ』あるいは長い作品でいうと『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』なんかと比較すると圧倒的に語りがどっしりしてる。悪くいうとテンポが非常に遅い。なんならナレーションという手法を採用することによって「ある人物が過去を振り返る形式の語り」なのが分かるんですけど、言ってしまうとこの語りが「ジジイが昔を振り返ってる」っていうスタイルなんですよね。
私が好きなスコセッシの映画って、主人公がもう少し若かったりしつつ「もうオワコンになってしまった自分がイケてた頃の話を軽妙にキレキレの編集のリズムで語る」みたいな映画が多いんだけど、そういう私の好きなスコセッシのスタイルみたいなのが随分と目減りしてしまってるなと。
じゃあスコセッシが何を映画で映し出そうとしたのかと言えば「人生」であったり「現代アメリカ史」みたいな壮大な叙事詩ですよね。とにかく濃い。デニーロにしろアルパチーノにせよジョーペシにしても圧倒的な演技合戦で魅せきるっていう。
でも長いっていう。
なんで長いのかってのはもう一つあってさ。もうこの語りの構造と、若きデニーロとがやるマフィア的なこと観てると、どう考えてもオチが見えちゃうっていうかさ。要はいろいろヤンチャもしたけれど、結局みんな死んで最終的に落ちぶれて孤独を噛み締めてエモい。みたいなのにあんましカタルシスを感じなかったんですよね。
スコセッシ自身、最近アベンジャーズを映画として腐してるわけですけども、その深いところでの発言の意図とかはよう知りませんよ。
ただ、アベンジャーズをテーマパーク的だと、映画というメディアを通じてやるべきものなのかっていう疑義を、この映画を通してアップデートしているのか?っていうと私は疑問ですよね。
例えばこの映画、Netflixで製作して公開してるわけですけど、娯楽が多様化した現代において209分のこの壮大な叙事詩をNetflixというプラットフォームから発信することが本当に適切なんでしょうか。
ツイッターランドで拾ったデータですけど、本作はNetflixで配信されて5日間で1710万人が視聴してる。ところがその中で最後まで本作を見た人は18%だと。
『ROMA』にしてもそうですけど、どう考えてもNetflixっていうプラットフォームに合わない映画をこういう形式で、もちろん劇場でも流しているとはいえ、製作するっていうのは本当に映画づくりとして適切なんでしょうかね。最後まで見たのは18%。残りの82%の人間は映画を映画として見る楽しみを放棄しちゃってるわけですよね。
それでもNetflixで製作するっていうのは、劇場の都合に関係なく作品が作れるだとか、そもそもの資本のブッコミ可能量が異なるとかいろいろあるんでしょうけど、大衆娯楽としての本質的な映画の意味とかはそれでええんかなあとは思わなくもないという。
とはいえもうね。スコセッシの総決算的な大作でね。このような大作が2019年、今、立ち会えてるんだっていう喜びがエグい最高の作品ですよね。
でもまあ映画偏差値低いクルクルパーからすると、やっぱり長いっす。なんかサーセンねぇ...
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