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大いなる陰謀のotomisanのレビュー・感想・評価

大いなる陰謀(2007年製作の映画)
4.2
 2007年4月のある日、ワシントンではトム議員が恩顧易からぬメリル記者相手にコッソリとアフガン新戦略を披瀝しておる。大統領への道に布石は着々と進む。
 同じころ早朝の西海岸、マーレイ政治学教授の部屋では落ちこぼれ瀬戸際、世間にも学業にも希望をなくしたと嘯くマイケル君にエンタープライズな者であれと教授が説いている。これぞアメリカ人の理想というべき言葉で、相手を見込んでのこの口説きだが中々実を結ばないようだ。そしてこの日、かつての若い芽が二つ折れ、今また新しい芽、マイケル君が根ずくかどうかが問われる。
 米国のあっちとこっちのもう対極、アフガンでは当の芽の二人が軍情報部のガセネタ作戦のお蔭で死に瀕している。ガセネタを差し出した情報部OBがかのトム議員と来ては念の入った話だ。執務室に飾られた勲章の数々が何を示唆するか尋ねようもないが、敵ライオンを偵察画像でしか見たことの無いラム肉議員が語る新戦略が開始早々手勢のライオンをむざむざ殺した事にどんな哀悼を示すのだろう?
 政治学徒マイケル君が非難する政治家が御覧の通りのトム議員で、実はもう崖っぷちなメリル記者58歳がスタンドプレイを止められないとしても、それらがマイケル君に何の関係があろうか?マイケル君がゲームで面白がっていようと彼女とナニをしたかろうと、落ちこぼれたうえにおつむも空っぽのまま過ごして得る結果を誰も補償してはくれない。ならば、学費3万ドルで馬鹿とつるんで世を拗ねるのか、何か分からないが優秀学生表彰よりましな事を探さないかと告げる監督の言葉とどちらを選ぶ。
 大人ぶった教授ヤローの口車だが、歳をとって振り返れば実に簡単な事だ。しかし、若い事は実に危うい。かつての二人も折悪しく「テロとの戦い」にほだされて従軍。アフガンのあの場で互いを同じ態度を奉ずるものと知らなければどうか、目の当たりの事実さえ疑い、否認する頑固さを持っていたらどうか、生きる事を敵と認めたものに明け渡さない心丈夫さがあったらどうか。それでもせめても敵と対峙した彼らの最期の真実は衛星カメラの向こうの司令部には何一つ伝わらず、情報部OB議員は二人の死さえ敵への非を鳴らす材料として、羊の王の道への次の布石とするのだ。
 歳をとらなければ分からない事を何かの勘違いでも知ったかぶりでも分かった気になれないものか。物事を掻き回すお調子者風情なマイケル君を見込んだ教授も教授だが、一本気だったかつての二人と違うアプローチの人選に教授の同じ轍を踏むまいという気の弱りを感じないでもない。
 そんな具合だからか、監督が何を望むのか?
 後進を慮る教授に、二十一世紀を見定め難い記者に、我が身すらままならぬマイケル君に向かい合わせるトム議員の貪欲が何をもたらすか、かの二人の死から考え学べという程度の事にも思える。それでもそれから十数年暮らしてなるほどと思うのは、あの頃から何もよくなった気がしない事である。だが、アメリカ人であるならば、オレ、レッドフォードと対面したからは自分で考えろと、昨日までのマイケル君のような、なんでも人を貶すか他人まかせで分からぬ尽くめを零すボンクラへの言い遺しかもしれない。

 一つ言い添える事がある。かのラム肉議員の二人への哀悼である。
 残念ながら緒戦の失敗のため、あの作戦と新戦略の関係はもみ消されてしまう。二人の名は公表もはばかられマイケル君も教授も話題に上がったあの二人と気付く事はあるまい。
 スクープ報の前にこの作戦が実施されたのは、新戦略報道と同時に早速とばかり戦果を公表し、新戦略の卓越性とラム議員のかつての情報将校としての軍功、軍事通振りを印象付けるためである。これは軍にも共和党にも好都合な筋書きだった。
 作戦の失敗で伏せられるふたりの事績がかえって粉飾なく伝わるであろう事が慰めなのか?胡散臭い新戦略と今日も出た戦死者とにマイケル君は何を考えるのか?案外、将来は学費弁済のため証券マンにでもなって世界にショックを与えたりするのかもしれない。それはそれでドえらくエンタープライズではあろうが。
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