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ボブという名の猫 幸せのハイタッチのLCのレビュー・感想・評価

4.3
面白かった。

薬物に限らず、依存症に共通しているのかもしれないけれど、それを断つことの難しさは想像を絶するものがある。
作中で「感情が原因」というようなことを言っているけれど、これはかなり深度のある言葉だ。
薬に依存すると、まず自分が自分に対して持てる信頼が地の底まで落ちる。それが良くないものであり、周りからどんな目で見られるのかは、使用者だって知っているからだ。
けれど、薬は一時的に「受け止めることが辛い現実」を忘れさせてくれる。
イメージ的には、甘いもの食べて塩っぱいもの食べる、その繰り返しがなかなか止まらない経験をしたことがあれば、それに近いものがあるかもしれない。
本作の主人公は薬だけではなく、路上生活する身分でもあった。他者に尊重されない生活の中にいた。邪魔者で、くさくて、人が顰めっ面で目を逸らす。誰にも愛されない。そういう存在だった。
そして、そんな彼に「もう薬はやらないと約束して」という人がいた。失敗した時の失望は、信じて見守る人、繰り返さないと誓った筈の本人、双方に重くのしかかる。
自分はやっぱりダメなんだ、信じてくれた人もそう思ってる、やっぱりダメだったなって、軽蔑してるんだろうな。
そう思うと、また薬の足音がしたりする。自分を足蹴にする誰かの足音もする。ここで寝るんじゃねえよ。
耐えられない、忘れたい。
そして、目を覚ました時に、一層濃くなった絶望に包まれる。
彼らの更生の難しさとは、信頼を軸にした人間関係の維持の困難と直結しており、しかし孤独に克服することは不可能であるもの。それが依存症。

彼は、1匹の猫さんとの出会いで、「自分を責める時間が減った」ことが何より大きな変化だったろうと思う。
自責して、絶望までしている暇はあまりないのだ、腹をすかしてミャーミャー鳴く子が側にいるのだから。何故か自分の側を離れずに、頼り切ってくる、そのくせ気ままにあくびして走り回って、こちらの都合は気にしていないように見える、小さな者。
周りにどんなふうに思われているかも、気にする時間が減った。側に猫さんがいるから、心理的な負担は相当軽減されただろう。みんな猫さんを見てる、自分のことを蔑みの目で見る暇はないようだ。重苦しい気持ちで歩くことを忘れた瞬間がたくさんあったろうと思う。何より、猫さんの安全を考えていれば、自分がどう思われようと気にならない。

上手くいかないことがあっても、そこで踏ん張れた。トラブルで1日警察署に縛られた時とか、1ヶ月収入がなくなった時とか。そういうひとつひとつの、自分の尊厳を傷つけない事実を積み上げていけた。どんなに理不尽で辛いことに直面しても、薬に頼らない、そういう尊厳。
積み上がったものが全て、断薬成功に繋がったように思う。
自分のことを裏切らない。だって、自分は案外ダメじゃないから。蔑まれるだけの存在じゃない。ちゃんとした人として扱ってもらえるんだ。自分も自分をそう扱う。それでも挫けそうになったら、猫さんの命を背負っていることを思い出す。絶対にこの手で守る。手放さない。自分ならできる。できる筈だ。
そんなふうに、心から思えるようになることが、どれだけ困難か。
そして、たたかう本人以外は、見守るしかないのだ。信じてもダメだった場合にのしかかってくる失望を知っていて、それでも尚見守るしかないのだ。

本人の頑張りは本当に本当に、凄まじい。
そして周りの、特に女性2人の忍耐も負けないくらい、凄まじい。
やらないでって言ったのに。そうやって裏切られる経験を持っていて、それでも主人公を気にかけ続ける。人間不信になっても不思議ではないくらい、近くで耐えてくれた。
主人公も、「どうか食べ物を買ってくれよ」と渡したお金が薬代に消えた結末を目の当たりにして、彼女たちの立場を経験した。
そのことで、自身の父親が耐えられずに大きな距離をとったことも、理屈ではなく、実体験として理解できたかもしれない。

本作、今つらつらと記したこと以外にも、主人公を支えたものが幾つもある。
わかりやすいのは、炊き出しではなかろうか。どうしようもなくなったら、そこで何か食べるものは手に入る。餓死を減らすのも確かにそうだけれど、この「どうしようもなくなっても、これがある」という安心感はそのまま命綱だ。自暴自棄の谷へ引き摺り下されそうになったらしがみつく、そういう綱だ。空腹になると人は俯く思考をどうにもできない。絶望は人を破壊するし、殺すこともできる。

作中、主人公を支えた全てに対して、深く感謝の念を抱く。
主人公も周囲も笑顔になれたことが嬉しい。
そして猫さんが良い子過ぎてひたすら悶える。小さな鼓動とあたたかな身体、彼の手に預けられた命。
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