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アナザー・カインド・オブ・ラブのTnTのネタバレレビュー・内容・結末

3.3

このレビューはネタバレを含みます

 昨今はMV出の映画監督が多いが、かつてはむしろ巨匠を駆り出してMVを作らせる時代でもあった。その中にはゴダールがいたり、ペキンパーがいたりして驚くが、どれもMVとしての評価はイマイチである。黒沢清が「シネティック」に載せたエッセイ「MTVの誘惑」を読みながら、MVと映画にある微妙な差異についてしみじみ思うのだった。そして今作もシュヴァンクマイエルによる唯一のMVであり、内容はまあご察しの通りではある。とはいえ、映画監督がMVへの移行に不器用なのに対し、MV出の監督は映画にすんなりハマるのだから不思議である。

 ヒュー・コーンウェル自身も出演したMVであり、爽快なニューウェーブと共にその当時のMVの雰囲気を感じさせる。しかし、果たしてシュヴァンクマイエルで合っていたのか。このMVの2年前、シュヴァンクマイエルに影響を受けたMVを作りたいということでピーター・ガブリエルが「スレッジハンマー」のMVを作った。コーンウェルもたぶんそんな感じを狙ったのだろう。しかし、ド直球シュヴァンクマイエルのクセ強感は、曲に合わせるとかそういう次元ではなく、両者譲れないままにMVは出来上がったとみる。

 映画、それは音、映像、物語など全てにおいて監督が張り巡らした思考の賜物であり、その統一感の均衡が作品たらしめている。しかし、物語と音を欠いた映像のみとなると、その均衡は崩れる。表層のみで彼ら映画監督は表現を成り立たせられないのだ。その模倣者たる映像作家こそ柔軟ではあるものの。そうしたアーティストによる映画監督への誤解がこうしたMVを作らせる経緯だったと推測できる。残されたのはシュヴァンクマイエルの手慣れた表現の詰め合わせで、そこには見覚えはあるものの統一感のない散漫さが目立つのだった。

 とは言え、シュヴァンクマイエルの映像表現はのちに色んな映像作家への影響を大いに与えたことがこうした誤解を通してより鮮明になる。最近も下着のCMでめちゃくちゃシュヴァンクマイエルしてるものがあって、未だその影響力が衰えないことに驚愕する。そして崇高な芸術はどんどんと表層を借りた広告の餌食になっていくのを若干虚しくも感じる(あのCMを見て、シュヴァンクマイエル自身の影響を読み解く人など少数だろう)。
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