KnightsofOdessa

ヨーヨーのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

ヨーヨー(1965年製作の映画)
5.0
[映画史回顧の懐古的視点を越えて] 100点

1000本目!圧倒的大傑作。ジャック・タチに出会ったことで映画界へと足を踏み入れた多彩なるアーティスト、ピエール・エテックスによる最も有名な長編二作目。タチの熱心なフォロワーということ、道化師として働いていた経験などからも分かるように、彼の作品はチャップリンやキートンなどサイレント時代のコメディ映画に再び息を吹き込む映画を作った。大豪邸に暮らす御曹司の暮らしを描く前半は1926年という時代設定に併せてサイレント的に描かれており、大豪邸における虚無的な暮らしぶりの中に"信じていたものが崩れ去る瞬間"を幾つも取り入れることで後の展開を暗示させる。絵画かと思ったら鏡だったり、手かと思ったら燭台だったり、自分が風呂に入るのかと思ったら犬が入ったりとその驚かせ方は多種多様だ。開閉音や物を置く音を強調するのは『ひなぎく』っぽいし、サーカス団の子供(御曹司の実子)が大豪邸を巡る様は完全に『沈黙』そのもので、後の作品への影響も推し量ることができる。

大恐慌の到来とともに屋敷を失った御曹司は再会した意中の女性とサーカス団を組んで欧州をめぐり始める。それと同時に到来したトーキー映画を真似て映画は声を獲得する。自動車による『キートンの大列車追跡』の再現、唐突に登場するライバルサーカル"ザンパノとジェルソミーナ"、時代が荒れ始めるとカール・マルクスからの連想でグルーチョ・マルクスをぶち込み、ヒトラーはチャップリンに変貌する。少年は大人になり、世界も変貌を続けるが、その度に上手く波を乗りこなし、世界に迎合していく。あまりに華麗なコメディ映画史回顧でありながら、とてつもない夢物語であるのは、映画がある種幻想的な"夢"のような作用を持ち合わせているからなのかもしれない。

少年は子供時代に憧れた父の屋敷を取り戻す。それは単純な"昔は良かった"という概念自体を示していて、過去の遺産をハリボテとして愛するために追い求めているに他ならない。しかし、思い出は思い出であり、世界は動き続けているのだ。サイレント映画だけが優れているわけでも、逆にトーキーだけが、カラー映画だけが優れているわけでもない。全てを愛し、そこから新しい物を生み出してこそ真のクリエイターだろう。そんな決意が滲み出ているかのようなラスト。サイレント映画はほとんどヒロインと結ばれるが、安易に結ばれないのも素晴らしい。
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