レインウォッチャー

大恋愛のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

大恋愛(1969年製作の映画)
4.5
なんじゃこりゃ激ラブリー。

ヒトの「笑い」が起こるメカニズムについての研究は多岐にわたるが、その一つに不一致理論と呼ばれるものがある。要するに事前の予想や期待と目前の現実とにズレが起こったとき、笑いが生じ得るということ。松ちゃんが呼吸のたび口にする「緊張と緩和」はまさにコレだろう。

そこのところ、ピエール・エテックスという男はまさに喜劇の申し子と呼んで差支えなさそう。
ジェントルで几帳面な印象の痩身の美男、二枚目の彼は可能性の塊。マジメに構えた彼が陥る日常の不協和は平和でキュートな笑いを生み、繰り出される小ボケの数々に満ちたアイデアは時に童話めいて自由、こちらの期待をマジカルに裏切り続ける。

粗筋はシンプルだ。幾つかのロマンスを経て現在の妻と結婚したピエール。10年の結婚生活は平和で、義父の会社で勤める役員職も順調、しかしどこか起伏に乏しい日々。そこに新人の美人秘書アニエス(※1)が着任、彼の胸には久方ぶりの火が灯る。

物語は日常と夢想の間を右往左往するピエールの煩悶と共に進み、周囲を近所の噂好きおばあズや娘離れできてない義母、友人の伊達男や先輩ベテラン秘書…といった魅力的でクセ強なサブキャラたちが彩る。
あらゆる絡みやギャグが人間的で、生き生きとしている。映画は街の空撮から始まるのだけれど、まさに街全体やそこを歩く人々をまるっと愛して、温かくポップな色彩で包むかのよう。

頭の中を直で目前へと映写したような世界は、現代でいえばウェス・アンダーソンやミシェル・ゴンドリーの箱庭へと確実に通ずる。それに、そんなスウィートな中にちゃんと切なさのスパイスが仕込まれているのも良い。

ピエールはアニエスと接近を図るも、やがて彼女の若さを起点に自らの老いを自覚する(ことを映像で表現してるのが素敵)。「恋に恋する」のは何も乙女ばかりではない…むしろどこかで振り返って人生のIFを想像したとき、その夢の霞の中の自分にこの上なく恋焦がれるのではないか。

やがて、彼(と妻)は現実・日常の中で確かに先へ進む。この喜劇はごく小さく見えて、誰かと共にする人生の縮図であり讃歌になっているのだ。
アンリ・ベルクソンは『笑い』の中で「虚栄心の特効薬は笑い」と言った。今作はピエールを媒介にしてわたしたちの日常の虚栄をいっとき柔らかくほぐし、明日に送り出してくれる。やっぱりピエール・エテックス、笑いの天使のような人だった。

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※1:このアニエスがとにかくむちゃくちゃかわいくて正直「まあしかたないよね…」って感じではあるのだけれど、言うて60年代の作品なので、妻の扱いをはじめとする女性観の面では現代の進歩的で聡明で正義感が並はずれて強くそして時間が有り余って羨ましい限りである某界隈の淑女の皆様方…等には鼻持ちならない点もあるかもしれない。

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ピエール・エテックス レトロスペクティブにて
http://www.zaziefilms.com/etaix/