如月

ハドソン川の奇跡の如月のネタバレレビュー・内容・結末

ハドソン川の奇跡(2016年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

この映画に関しては、町山智弘さんの評が秀逸だ。

曰く、イーストウッド監督は一発でシーンの撮影を終わらせる事を信条としているそうだ(と、確かその様な事を言っていた)。

結果、最高の演技を練るため試行錯誤する事を是とする、レオナルド・ディ・カプリオと、その美学の違いで揉めた事もあるらしい。

今作の主人公、サリーは、そういった意味で、正にイーストウッド監督の美学を体現する存在。瞬時に勝負を決める、まるで居合の達人の様な、メチャクチャカッコいい主人公なのだ。

居合の達人っぽいという事以外にも、もう一つ、今作は多くの日本人の琴線に触れる点があると思う。

それはヒーローなはずの人物が、世間から悪者の汚名を着せられ、それを返上する、というあらすじだ。真実が明らかになった時、世間が反省し、それまでは悪役だった人物を悲劇のヒーローとして崇めるという、「世間誤解もの」。その点、この映画には忠臣蔵の様な情緒がある。

さて、個人的には、今作と、イーストウッド監督の前作である「アメリカン・スナイパー」との間に多くの類似点を見る。

・主人公が、何かの達人である点。
・達人過ぎて、何が正解かは、感覚でしか答えられない点。
・瞬時に結果が生まれる世界を描いている点 (一方は死を、もう一方は生を)。
・故に主人公が孤独である点。
・芸を極めた結果、主人公が狂気に入って行く点。
・狂気に入って行くのは、仕事中である点。
・仕事中におかしくなっているので、両者ともその事に気づいていない点。
・監督が二人の狂気をあからさまな狂気としては描いていない点。
(1シーン程度でしか示されないので見落とされやすい)

イーストウッド監督は、何が正義で何が悪か、という命題への自問自答を映画にし続けていると思う。だが一方で、正義の側であれ、悪の側であれ、狂気を宿した人は、行くところまで行ってしまい、「アメリカン・スナイパー」の様に「戻ってこない」か、あるいは今作の様に「想像も出来ない場所に着地する」か、いずれにしても常人が出来るのは、せいぜい彼らが感覚の世界に行ってしまう瞬間を、一瞬のシーンで垣間見る事くらいしかないのだ、とでも言いたげだ。
如月

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