ブタブタ

リップヴァンウィンクルの花嫁のブタブタのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

アップリンクでの再映+岩井俊二監督と原日出子さんのトークショー約1時間含め映画3時間と計4時間にて鑑賞。

アムロの正体や目的については監督もはっきりとは知らないとの事で、ただ彼は都市に棲息する「ウィルス」の様な存在だと。

SNSと言うツールが異界への扉となり、現代東京を舞台に「異界への旅と冒険」と「日常への回帰」を描いた作品でした。

自分はアムロを「天使」の様な存在だと思ってて、あくまでイメージですが。
七海は悲惨な状況に陥りますけど常に1条の光が刺して来て、その光と共にやって来るのがアムロ。
まあ原因はアムロが作ってるのですけが。
人間にとって天使は決して都合の良いコントロール出来るシロモノではなくて「死」を運んで来る事もあるし冷酷かつ非常にシステマティックな存在だと思ってて、神様の意向に従って人間界の様々な出来事に干渉する時「いい結果」だけでなく悲惨な状況を招く事も多々あって、アムロ(及びその他多くのアムロ)にとって「クライアントの依頼」が「神様」みたいな物でそれを実現する為なら手段を選ばない、だから七海も悲惨な事態になりましたが。

この作品から感じるのは圧倒的な「光」
最近現実の世界は嫌な事ばかり人間の「闇」ばかり見てる様な気がしますが『リップヴァンウィンクルの花嫁』は世界には確かに闇や負のエネルギーが満ちてますけど、それと同じくこの世界は光に満たされてるって事を言っていて(多分)でも単純に光=善い・闇=悪いではなくて、光によって滅びに向かう人間もいる。
それが真白なんじゃないでしょうか?
放射線を浴びるとガンになる様に真白の末期ガンは世界に満たされてる光を浴び続けたって事の象徴...の意味も込められてて燃え尽きて灰に「真っ白」になってしまう、名前もそういう事ではないかと。

やはり本作は綾野剛・黒木華2大演技派カメレオン俳優の共演でありこの2人あってこそ、この2人なしには存在しえない作品だと思います。
カメレオン俳優と一言で言っても両者は完全にタイプが違ってて、綾野剛は役によってキャラクター・性格、その人の「色」を次々に変えて変化していくのに対し、黒木華はそのキャラクターに同化し周りの人物・風景の中に溶け込んでしまう正にカメレオンの「擬態」みたいな感じで今迄色んな作品で見てる筈なのに印象が残らないんですよね。
これは『あまちゃん』以前ののんこと能年玲奈にも言えることですが。

ただCoccoに関しては歌手だって事以外よく知らないのですけど、全ての登場人物が何らかの「役」を演じてる様な虚構の世界で唯一演じてないと言うか、肉体も精神も病んだ人をCoccoがやってるのがあまりにリアルで浮いてる様に見えたんですよね。
あの人は普段からあんな感じなのかなと。

監督への質問コーナーがあって僕も勇気を出して質問したんですが、最初の結婚相手とのSNSでの出会いから既にアムロが仕組んでたのでは?と聞いたんですけど、かなり脚本の直しをしていて最初はランバラルも登場する予定だったとか、アムロ自身も複雑なネットワークの中で生きていて他で進行中の「依頼」が絡んで来たりそういった多層構造を含んでいるのでどこまでがアムロが仕組んだ事なのか敢えてはっきりとはさせなかったと。

結婚式での薄ら寒い寸劇や茶番とも言える演出、既に崩壊している七海の家族やバイトの偽家族、全てが虚構で出来ていてそれらを仕組む目的も正体もよくわからないトリックスター・安室(綾野剛)は情報を操りそれを利用し様々な人々を媒介し幸せと不幸を拡散させている。
ネットワークを自在に移動する妖怪の様でもあり、次々と姿を変えて現れる綾野剛の浮遊感ある芝居と相まって安室は不気味であると同時に頼りになる存在。
ニセモノの世界で更にその箱庭的世界を上から俯瞰し見ている様な「上位存在」としてのキャラクター、安室を「天使」と感じたのはそれ故なのですが。

人工的な異世界で展開されるお話しは、結局全てが嘘である可能性を含んで見えてハネケ監督『ファニーゲーム』やフィンチャー監督『ゲーム』と同様の不気味さを感じていて最後に何か待っているのかと鑑賞中不安だったのですが七海と真白が心中してしまった時、ああ予感が当たってしまったと非常にガッカリしたのですけど七海はあっさりと生きていて、真白の台詞「この世界は幸せだらけ」光に満ちた世界である事を提示し締めくくったこれ以上ないくらいのハッピーエンド、素晴らしい作品でした。
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