Violet

リップヴァンウィンクルの花嫁のVioletのネタバレレビュー・内容・結末

4.7

このレビューはネタバレを含みます

ドラマ版で観てたから全体的なお話の流れは知ってたけど、この映画の雰囲気ほんとに好きだ〜〜〜。
てか黒木華ちゃんと綾野剛の演技が上手なのは知ってたけど、Coccoさん!?すごすぎない!?なんかもういつもニコニコしているのにどこか儚くて、朝起きたらいなくなってるんじゃないかみたいなミステリアスさも掛け合わせてて、なんかもうすごい引き込まれた…。

この話の大きなテーマは現代社会における「個性」。
SNSが普及した現代。誰もが様々な名前を持っていて、誰もが様々な顔を持っている。
個性の欠落。
そんな現代人代表のような存在が主人公の七海。
この物語をとおして七海は、自分と、そして他人と向き合い、無個性な自身をゆっくりと変えていくのだ。
決して明るい映画ではないけれど、無個性だった七海がもがきながら前に進んでいく姿に、「自分」という存在がぼやけて見える私たち現代人は、じんわり共感してじんわり温かくなる。

大都会の真ん中で群衆に揉まれながら、真白が「こーんなにたくさん人がいたらさ、誰か1人死んでもわからないね」といった一言もそうだし
自分の結婚式で代理出席を依頼した七海が、別の結婚式で代理出席のアルバイトをするシーンでもまさに「だれでもいい」という現代人の個性の欠落が垣間見られる。

それでもみんな、自分を1人の人間として認知してくれる「何か」を探している。
真白は「自分にしかできないから」といって仕事に情熱を注いだ。
七海はインターネットを通して勉強を教えている生徒から「先生じゃなきゃだめなんだ」と言われ、自分の意思でその子の教師を続けている。
そしてこの2人はお互いにお互いを1人の人間として大切に想い、真白は七海だから一緒に死ぬことを強いず、七海は真白だから心の底から一緒に死んでもいいと思った。

それから、これは映画だからドラマティックに描かれている部分もあれど、七海の安室に対する絶対的な信頼も恐ろしいと思った。
その人のバックグラウンドも本名も知らないのに、すべてを信じてしまう。
まさか安室が自分を死に追いやろうとしていたなんて、七海は知る由もないだろう。
これは一種のマインドコントロールで、現代人が如何にインターネットに依存しているかが伺える。

真白が亡くなって、遺骨を実母に届けに行くシーンではいろいろな解釈があるだろうな~~と思った。
私は、真白の母親は本当に本当に悲しかったんだと思う。
自分がお腹を痛めて生んだはずの娘なのに、娘の顔も娘の考えていたことも何もわからないまま、死んでしまった。
真白は、「幸せを買うためにお金がある」と言っていたけれど、母親は真白の残した財産を見ても何もうれしそうではなかった。
「本当の」幸せも、真心も、優しさも。全部お金では買えない。
安室が泣いて脱ぎだしたときは「なんで?」と思って正直ぎょっとした。
この映画で出てくる1番の「無個性」である安室。
だからこそ、目の前で我を忘れて泣きじゃくる母親を見て、自身の虚しさを感じ、このシーンでは「人間味」が垣間見られたのかもしれない。
安室は車で来ていたし、おそらく次の仕事もあるだろうに、そんなことを忘れてめちゃくちゃに飲んでいた。
綺麗ごとかもしれないけど、安室にもまだ「個性」を手にするチャンスがあるのではないかと信じたい。

ラストの七海がベランダに立つシーン。
カメラがどんどん離れていき、七海の顔もだんだんと見えなっていく中で、左手の薬指が太陽に反射してキラキラと輝く演出はすごくよかった。
このシーンで、七海は無個性ではなくなり、世界のどこにいても七海が七海であることを印象付けている。
真白と交わした2人しか知らない、目に見えない指輪の交換。
このときの記憶がある限り、七海は自分を見失うことなく生きていけるのだろう。


▼真白のことば
わたしには幸せの限界があるの。
たぶんそこらの誰よりもその限界が来るのが早いの。
ありんこよりも早いんだそれ、その限界がね。
だってさ、この世界はさ、ほんとはしあわせだらけなんだよ。
みんながよくしてくれるんだ。
でもさ、そんな簡単に幸せが手に入ったらわたし壊れるから。
だから、せめてお金払って買うのが楽。
お金ってそのためにあるんだよ。
真心とか優しさとかがそんなにはっきり見えたらさ、人はもう、ありがたくてありがたくてさ、もうみんな壊れちゃうよ。
だからさ、それをお金に置き換えてさ、そんなの見なかったことにすんだよ。
だから優しいんだよ、この世界はさ。
Violet

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