天豆てんまめ

何者の天豆てんまめのレビュー・感想・評価

何者(2016年製作の映画)
4.0
昨晩、久しぶりにこの映画を観た。
今日は長男の入学式だ🌸

最近、私は何者の呪縛から卒業しつつある。

Q-One =Question One=何者

あなたはいったい何者ですか?

予告編のテンポ感を期待すると、映画のトーンは逆だということがわかる。この映画のレビュー平均が4.0を超えないのは内容の重さもあるがそういう面もあるかもしれない。これが「モテキ」の大根監督であれば予告編のスピード感のままガンガン巻き込んでいったのだろう。その物足りなさを前半は感じていた。

しかし観終わって時間が経ってみると、小説文庫本の解説もしていた三浦大輔監督がほぼ原作を踏襲しながらも、演劇のモチーフを原作以上に持ち込んで、音楽や映像ラッシュに頼らず役者の生の演技を信じ切って演出したこの方法論は、テーマの重さを重さとして鈍器のように観客に打ち付けるには良かったかもしれないとも思えた。

朝井リヨウ×三浦大輔。一見、爽やか×ジメジメだが、根っこは非常に似ているのだと思う。だからこそ原作を大きく改変できない程、監督は深いところで作品の強さを信頼していたのだろう。

佐藤健。彼の映画人生で一番かっこ悪く平凡に見えるのが良い。

有村架純。作品の良心的な立ち位置だが、彼女の眼の芝居がいい。

二階堂ふみ。クライマックス。圧巻の一言。

菅田将暉。天衣無縫な魅力が突き抜け素晴らしい。歌もいい。

岡田将生。絶妙なスパイス役でうまい。周囲にいるよね。きっと。

山田孝之。大学時代はこういう先輩、頼りになるんだよね。説得力あり。

三浦大輔の劇団ポツドールの芝居は昔、3作ほど観にいったことがある。「愛の渦」「恋の渦」「顔」。観ただけで変態と言われそうな舞台だが知人が出演していたこともあり、よくここまで人を露悪的に追い詰めることができるな、と恐ろしさを感じたものだった。

そういう面ではこの「何者」は露悪性を潜めたが人を追い詰める濃度は変わってはいない。

もはや後半は観ている私自身の自意識が哀しくも暴かれていくようなマゾヒスティックな感覚に陥っていくが、きっと私だけではないのだろう。

私はいったい何者なのだろう。

この 自意識という名の 悪夢

私は就活が終わってもこの問いから抜け出せなかった。

「バタフライ・エフェクト」のレビューで就活時代に触れたが、基本的にいい思い出はない。

20代の方々はいつか年齢を経て、外からの「何者」社会呪縛と、中からの「何者」自意識呪縛から放たれることを願ってますか? 

自分がどこかで終止符を打たないとそれは永遠に続くもの。

諦めるの? 降りるの? 目を逸らすの? 叫ぶの? 走るの? 泣くの? 闘うの?逃げるの? それとも、、? どれも根本的な解決にはならない。

もう逃げきれないことを認めた上で、それらとどうにか付き合っていくしかない。そして私は今日もヨガをする。鬱陶しい自意識からひと時でも離れるために😌

映画「何者」について書く行為。正直に言えば、この瞬間もまた映画を観た時と、同様に自分を刺し続けている。

こうして、匿名にて映画レビューを書いている私。私たち。

それと彼ら登場人物との違いは何か。それとも何も違わないのか。

自分なりにイケてる着眼点の自己顕示欲?

リアルで満たされない自意識の満足?

映画を神の視点で裁ける安全地帯の全能感?

ペルソナを被って初めて本音を吐露できる隠れ場?

「何者」でないことから目を逸らす逃避先?

そうかもしれない。

それだけではないかもしれない。

愛があるかもしれない。

ピュアな想いがあるかもしれない。

私の場合、匿名だからこそ作品ごとに踏み込んだ極私的なレビューが書ける。それは事実だ。もしその製作者が友人だとしたら面と向かって駄作とはおそらく書かない。書けない。

実名やFacebookであれば私の今の社会的な繋がりからの眼と、自身の社会的立ち位置を気にした上での面白くもないペルソナレビューになるだろう。

それには、まったく自分らしさも解放感も無い。

ただひたすらにかっこつけることになるだろう。

つまり匿名で悪意が噴出するという側面ではなく、匿名でその人らしさ、その人本来の想い、その人の隠れた感受性がリアル以上に染み出る可能性。

外見ではなく、社会的立ち位置からくる関係性でもなく、

純粋に映画がすきな感受性そのもので人と繋がる、心地よさがきっとここにはある。

「逃げ場?」「隠れ場?」

それのどこが悪い。

大いに結構、どんどん内なる感覚を解放すればいい。

SNSやお金はツールなので、その人の中身を拡大するだけ。

良き人はより良き影響へ。
悪しき人はより悪しき影響へ。

だから内なる感覚、感性の解放が良き共鳴の輪が広がる可能性にも満ちている。

尾崎豊が、この世界からの卒業と歌ったのは遠い昔。

「何者」呪縛から卒業させてくれるのは、たった一つの自分だけの感性を信じ抜けるかどうかだけ。

社会と他者に認められるかどうかは、それとはまた別のフェイズだ。

本当に対峙するのはどこまで行っても自分自身だ。

何者でもない自分の感性解放を思い切り楽しもう。

入学、入社の皆さん、おめでとうございます🌸