OASIS

シング・ストリート 未来へのうたのOASISのネタバレレビュー・内容・結末

4.2

このレビューはネタバレを含みます

1980年代のダブリンを舞台に、好きな女の子を振り向かせる為にバンドを組んだ青年とその仲間達の話。
監督は「ONCE ダブリンの街角で」のジョン・カーニー。

監督であるジョン・カーニーの半自伝的作品という事。
「未成熟」ゆえに「未知数」
そんな存在であるからこそ、未来を託し、未来へと希望を繋げて行けるダイヤモンドの原石の様な煌めきを放つ。
友情であったり、兄弟愛であったり、そして親の愛であったり。
それらのきっかけはうたであり、うたによって道が生まれて行く「未来派」な映画だった。

舞台は1985年、不況下のアイルランドはダブリン。
14歳の少年コナーは、父親の失業や離婚の危機により家庭の負担を減らす為学費の安い公立高校へ転校させられる事に。
いじめにあったり、教師に目を付けられる日々を過ごしていたある日、学校の向かいにある児童養護施設で暮らす少女ラフィーナに惹かれ、彼女の気を引く為バンドのMVに出演して欲しいと依頼する。
バンドのメンバー達が集まるのがトントン拍子に上手く行き過ぎていたり、そのバンド「シング・ストリート」が結成される目的が完全にコナー一人の目標を叶える為であったりと、音楽を通じて仲間が集う楽しさはあれどスタンドプレーが目立つ前半は主人公をあまり好きに思えなかった。
校内で平気で煙草は吸うし、いわゆる「イケてないグループ」とは違うようないじめっ子達とは真逆のグループといった感じなので、はみ出し者感は薄い気も。

MVに参加して欲しいと言ったからには肝心のMVを作らなくては行けないと、慌てて有り合わせの物で制作を始めるが...。
初めは「学芸会」と馬鹿にされても無理はない程のダサさとチープさが漂う作り。
コニーの歌声も自信が無いのか控えめで、楽器の音に掻き消されいかにも「こりゃダメだ」というレベル。
そんな駄目駄目だった演奏を変えて行くのがラフィーナへの想い。
想いが高まっていくにも連れて歌詞にもその情熱が反映され、愛する事や愛される事を学び始めると唄う声にも自信と覇気が溢れて見違えるように良くなり、バンドとしても見事な成長を遂げて行く、そんな過程にはグッと来るものがあった。

「ここが学校だ」と、コニーに音楽の何たるか、そして愛の何たるかを教える兄貴のブレンダンのキャラクターがぶっきらぼうだが温かみに溢れていた。
音楽マニアだが夢破れて燻っていて、レールから外れる事を許されず、弟と比べられる事に内心で怒りを抱えている。
彼との会話が学校での講義であり、手渡されるレコードが宿題であり。
弟へ夢を託し、弟への愛が垣間見える二人のやりとりが「兄弟愛」という映画のテーマに相応しい心地良さだった。
デュラン・デュランを始めとする80年代のブリティッシュサウンズが次々と流れるような選曲は若干ベタな部分もあるが、音楽や友情・愛に目覚めたばかり青年達にとって試練はまだまだこれからという意味ではベタ過ぎる方が良いのかも。

「悲しみと喜び」の両方を知ってこそ愛が理解出来る。
甘さだけでも駄目だし、辛さだけでも駄目。
歌詞や曲作りにもそれは重要で、心を打つ音楽には何かしらそんな複雑さがあり、それは聴く者の経験によっても変わってくるもので。
時代や流行が移り変わっても、聞き続けられ受け継がれて行く音楽というのはそれだけ魅力を持っているのだと思う。

いじめっ子のバリーが護衛役として仲間に加わるのも良かったが唐突感があったし、もっとメンバーに引き込むのが早い方が一体感が生まれやすくなっていたかなとも思う。
ロンドン行きを決めてから実行するまで早過ぎない?とか、バンドメンバーの事はさほど気にかけず一人でロンドンへと向かうの?とか、気になる部分はあったけれども「全ての兄弟達に騒ぐ」とある通り、まごうことなき兄弟愛の映画であった。
例え海を越えられなかったとしても、そして辿り着いたとしても、現状を打破する為に行動を起こしたという事実が重要なんだと、そんなことを思うラストシーンだった。
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