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スイス・アーミー・マンのKaitoのレビュー・感想・評価

スイス・アーミー・マン(2016年製作の映画)
4.3
見る機会を得たので、本日鑑賞。無人島流れ着いたハンクは自殺を試みるが失敗。そうしているとその島に死体が流れ着く。死体はガスで充満しており、死体からガスが発されていた。これを利用して彼は島を出て別の島に辿り着くがその島もまた無人島であった。辿り着くと死体には様々な機能が備わっており、それを使って島から脱出を試みるという話。大抵の人は感じると思うのだろう。実際私も初めてこの設定を聞いた時ははかなりぶっ飛んでいるなと感じた。オナラを移動手段にするなんてどうやったら思いつくのだろう。この映画で重要なのは死に対してどう捉えているかということであると考える。最初ハンクは自殺しようとしてたのに死にかけの男を助ける。これは大変面白い演出である。自殺をしようとしていた人間が死にかけの人間に生きる意味を説く。その行動には思わずつっこみたくなるが、この状況と行動の逆転こそが重要な要素である。またこの作品に出てくる殆どの重要な要素はおそらく比喩的な使われ方をしていると私は考える。オナラなども比喩なのである。では何を喩えているのか。それは公衆の面前でやっていいことと悪いことに対して。人は他人のオナラは好まないといったような作中のセリフからも分かる。自分のことを自由に表現することも許されない。彼らにとってそんな押さえつけられていたことに対する抵抗の表現がオナラだったのかもしれない。その他に登場する下ネタも同じような意味合いを持って語られていたと考えている。だから最後に色んな人に見られながらオナラをしてその勢いで海に帰っていくシーンはあんなシーンなのに鑑賞者の感動、涙を誘うのだろう。エンタメを表現によって感動を覚えるような域にまで持っていくダニエルズの技術は今となっては彼らの専売特許とまで言えるかもしれない。正直この映画を「なんか汚いことを題材にした馬鹿馬鹿しい作品だな」というように評する人とは私は分かり合える気がしない。みんな愛に飢えてるし、愛を欲している。人間なんてみんな汚いし、醜い存在である。そんな汚くて醜い存在が作り上げたこの社会にも小さいかもしれないが希望は確かに存在する。本作はこのような思いを鑑賞者に想起させる。社会において普通、常識とされていることに対して疑問を呈することは決して穿った物の見方なんかではない。まずは自分の心に対して正直になって、その上でもっと自分の心と対話して、(ハンクの死体とのやりとりがその喩え)そこから得た自分の気持ちを包み隠さず主張すべきだよ、そしてそのためには社会をもっとみんなが主張をしやすい場所にしないとねといったような個人と社会の両方に対してのメッセージを感じる。人生はエンタメである。そう思える日がいつか来ると信じて…
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