MikiMickle

DARK STAR/H・R・ギーガーの世界のMikiMickleのレビュー・感想・評価

4.0
「私の絵を怖いと思う人は現実を把握していない人だ」H·R·ギーガー

「エイリアン」の造形を生みだした事で有名なアーティスト、ギーガー。
まだ私がひよっこだった時、エイリアンたちの造形が男性器と女性器を模したものだと知った時の衝撃たるやっ‼‼ 何で知ったかは忘れたが、その興奮は今でも焼き付いている。思春期の性的モチーフへの興奮という事だけではない。グロテスクの中にある美しさと死を感じたものだった。
今思えば、生と性と死は常に背中合わせなものなのだと植え付けられたもののひとつだと思う。グロテスクという事はリアルなものであるという事も。
とはいえ、私にとったら謎の人であったギーガー。『ホドロフスキーのDUNE』で、その世界観や人物を垣間見れた時の喜びたるや‼

そんな彼のドキュメンタリー。否が応でも興奮する。
この映画の撮影終了後すぐの2014年5月12日に彼は亡くなった。彼の作品と生き様を、しかと心に焼き付けたいという気持ちで鑑賞。

とにかくまず彼の作品が細かに見れるのが嬉しかった。下書き無しでエアブラシ片手に脳内の悪夢を具現化するギーガー。神がかったように、吐き出すかのように右手を動かしていく。素晴らしき才能‼ 鳥肌が立つ上手さ‼ 本当に、素晴らしいとしか言えない。その姿をじっくり見れるだけでも、この映画の価値があると思う。

彼の住むのはスイスの街中にある緑に囲まれた家。小ぶりな家の中を開けると、迎えいれるのは大きな彼の絵。書物に溢れる雑多な家には、所狭しと彼の作品が配置されている。なんだか、晩年のゴヤの聾者の家や、『悪魔のいけにえ』を彷彿とさせられた。全てが彼の世界なのだ。
鬱蒼とした庭に心身込めて作りだした“幽霊列車”のアトラクション。出生を表しており、グロテスクな造形物に溢れた産道を抜けるとそこに待つのもまた恐怖である…
家も庭もまるで異世界。衝撃的だった。

今作ではもちろん『エイリアン』についても語られる。彼無しではあの名作は生まれる事はなかったと改めて確信する。

彼のモチーフで他に有名なのは、例えば女性とそれと融合した機械と骨格。そして性。ダイレクトな生殖器描写は卑猥だと批判もされてきたが、私はそこには卑猥さは感じない。
生と生殖と死という3つを通して描かれるのは、美しき悲しみと恐怖と闇…

自殺した恋人リーの話は、胸を締め付けられた。ミューズであるリーの存在とその死。ギーガーはやはり絵を描く事によってその責任と悲しみと恐怖から自らを救出していたのだろう…

彼の作品というものは恐怖を克服する術だった。6歳の時に父にもらった頭蓋骨。恐怖に打ち勝つためにそれに縄をつけて引きずりまわしたとの事。幼少の時に博物館で見たミイラの恐怖を克服するために毎日通いつめたというエピソードも語られる。恐怖に打ち勝つのは恐怖。

彼は好きだから描いている訳ではない。恐れに打ち勝つための癒しなのだ…… 誰しも心に恐怖を秘めている。しかし、彼は、その恐怖の中に身を委ね、自らが創り出した恐怖の具現化に溢れた家と同化し、そこに安楽を求める。 暗黒の子宮。

晩年になり、自らの作品をまた手元に買い戻した彼。描く事と作品こそが己なのだなと…
そして、そんな彼の世界は彼を愛する人々に溢れていた。多分、本人はあまり語りたがらなかったのであろう。周りの人々のインタビューにより少しずつ解明する本質。
秘書を務めるメタルミュージシャンのトーマス・フィッシャーは厳つい風貌ながらも感極まりつつ彼への感謝を語る。ファンは涙を流す。現妻や元パートナーたちの深い理解力。狭いダイニングに集まる人々の姿はやけにアットホームで、そのギャップにホッコリもする。

真っ黒な服に身を包んだよちよち歩きの白髪の老人は寡黙で、子供の様な無邪気さとお茶目さもありつつも、深い深い闇を纏っている。
「死んだらそれで終わりだ 死後の世界など信じない 生まれ変わることもないだろう 考えるだけでも面白くない また一からやり直しだなんて私は絶対に嫌だ。 見たいものは全部見たし、やりたい事は全部やった 心残りはない 幸せな人生だった 」と語るギーガー。

改めて彼の素晴らしき才能に拍手喝采をおくり、ご冥福を祈りたい。彼が、闇の中で安堵の時間をおくれますように………
そして、彼の世界を垣間見れたこの作品に感謝したい。
MikiMickle

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