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T2 トレインスポッティングのStroszekのネタバレレビュー・内容・結末

T2 トレインスポッティング(2017年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

1996年の『トレインスポッティング』の続編。エジンバラの北に位置するリースが舞台。

前作の主人公だったマーク・レントンがフィットネスクラブで心臓発作を起こして倒れるところから始まる。ランニングマシンに乗って若くてヤンチャだった頃の自分を思い出しながら走る走る走る→フラフラする→倒れる、の流れで「やっぱりレントンは競争社会の流れについていけない落ちこぼれなんだ」と比喩的に観客に了解させる。

そこから生まれ故郷のリースに戻ってヤク中のスパッドをジョギングに連れ出したり、シックボーイと再会したときに「公認会計士の仕事をしていて子供が二人いる」と言うので「お、出世コースに乗ってミドルクラスになったか」と思いきや、真っ赤な嘘だったことが判明する(この「真っ赤な嘘」は上記の事柄の二つともにかかっていて、更生させたスパッドの面前でドラッグに耽るし、すでに離婚して子供も生まれなかったことが判明する)。

結局20年前、26歳だったときと同じように薬に逃避し、身を持ち崩してしまう。

エゲツないのは、レントンの女性関係である。彼が年下の女性に恋するのは1作目と変わりないが、以前は相手がそんなに年下(女子高生)だとは知らずに関係を持ったのに、今作ではそれを承知の上でグイグイ自分から行く。中年男性の焦り、というか「自分は年を取ってるのに若い女性と付き合えると思っている」中年のイタさが表れていて、かなり皮肉めいた描写である。ヴェロニカがマークの"Choose life"の演説のあとセックスした理由も、「年取ってるのに不満を抱えて可哀想」という哀れみのように感じた。そのくらい焦燥感の表れた"Choose life"のやり直しだった。マークはもう「人生を選ぶには遅すぎる」と思っているから、あれほど切羽詰った口調になったのではないかと思う。

つまり、20年前とやってることは同じでも、年を取ったことによって、「こいつまったく成長してないんだ…」というイタさが増している。一種の反成長物語である。

その中でスパッドだけは、小説を書くという形で経験を昇華させている。「問題は、誰も読まないってことだ」とマークが言っているが、元妻が読んでいる。自分の大切な誰かにこれまでのことを伝えられた、というだけで十分だろう。

20年後の若者の描写も説得力のあるもので、大学でホテル経営を学ぶベグビーの息子は、一瞬父の盗みの手伝いをした後で、「やっぱり向かない」とあっさり足を洗う。その柔軟性というか、男としてのメンツにこだわらないマスキュリニティの欠如に現代っ子ぷりを感じた。

また、マークとサイモンはサウナ開店を目指し資金調達のためにリースの中小企業向けの公的資金融資を申し入れる。そのプレゼンの場面で面接している役人たちの中には二人よりも若いであろう男女がいた。まともで、道を踏み外さなかった若者たちが、二人の詐欺師が流す古き良き港湾都市としてのリースの映像に真剣に見入っている場面は絶妙だ。彼らは主人公たちよりも若い世代のリースの文化継承者として、古き良きリースを蘇らせる話をする年上の先輩たちに耳を傾けているのだ。

アンダークラスにいる不良青年は(スパッドに麻薬を売りつける場面以外では)出てこない。マークらがつるんでいるのはブルガリア移民のヴェロニカである。クール・ブリタニア真っ只中の1996年にいたような、ピチTを着た生きのいいスコットランド人青年はおらず、若者はみんな真面目で縮小傾向にあるような印象を受けた。

ベグビーの息子が大学進学できたことが表すのは、アンダークラスにいる若者を救う制度が普及していることだ。もう盗みや暴力の道を選ばなくても生活できる。

最貧困層にまで大学進学の道が開かれたことが政治の力なのかは分からないが、マークとレントンが中小企業融資のプレゼンに通ったことを考え合わせても、政治の方は彼らに門戸を開いている。しかし彼らはそれに乗っからず、裏切りの連鎖に身を投じてしまう。

若い頃の不遇は社会システムが機能していないせいにできなくもないが、この続編はそういった「逃げ道」を情け容赦なく潰していく。

あのどん詰まりのように見えた1作目さえ、若さというフィルターがかかって輝かしいものに思えてくる。だから今作において、ベグビーとの追いかけっこで車のボンネットに激突しそうになって回避したマークは、青春を追体験したかのような表情をするのではないか。

1作目では最後のマークの裏切りを除いてなんだかんだ言って仲良くやってたのに、どんどん醜い裏切りを繰り返す登場人物を目にし、「(悪い方向に)変わったなあ」と思った。仲間同士で憎み合い、取り返しがつかないほど、醜くこじれていく。

おそらく最後、ベグビーがマークの足を文字通り引っ張るのは、一緒に堕ちるところまで堕ちるしかないと思い込んでしまったためなのだ。

そんな連鎖を断ち切るのはスパッドが手にした便器というのも重要だ。1作目でマークがドラッグでトリップしながら潜り込んでいた物だ。もっとも脆弱に見えたスパッドが便器でベグビーを撃退する。彼にとってだけは、T2は成長物語だったのかもしれない。

一点だけ違和感を感じたのは、20年間服役していたはずのベグビーが、ヴェロニカのスマホですらすらフリック入力をしていたことである。もうちょっと時間をかけるとか打ち間違える描写を入れた方がリアリティがあったのでは。

1690年、ウィリアム3世率いるイングランド軍がカトリックのアイルランド人を敗北させた「ボイン川の戦い」を扱っているシーンがもっとも政治的、かつもっともテンションが高い(映画の流れ的にはマークとサイモンが店の改装の資金調達を盗みによって行う場面)。
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