天豆てんまめ

3月のライオン 前編の天豆てんまめのレビュー・感想・評価

3月のライオン 前編(2017年製作の映画)
4.2
改めて前後編を集中して観ると、やっぱり素晴らしい映画だと思った。

この作品は、漫画原作の青春映画として堂々たる傑作だと思う。漫画原作の実写化作品として私が好きな作品は「デスノート」(昔の2部作)「るろうに剣心」と「ちはやふる」と「キングダム」そして「3月のライオン」だ。

とはいえ、私は「3月のライオン」の漫画原作は最初の数巻しか読んでおらず、昔、NHKアニメを途中まで観ていただけなので、漫画ファンとしての評価は下せない。

でも、当時劇場で観たとき、アニメで印象に残ったエピソードを見事に抽出した脚本だと思った。更に役者陣が皆、身を削って演じ切っており、原作アニメの本質をしっかりと血肉化して、格段にパワーアップしている。ちなみに大友監督がNHK時代に演出した大河ドラマ「龍馬伝」は私が生涯で一番好きなドラマだ。

「るろう」や「龍馬伝」が「動」の本気ならば、この作品は「静」の本気。やはり大友監督の演出と物語を深く見つめる眼光の鋭さは只者ではない。

隅田川沿いの月島周辺の下町の風景が優しく、対して将棋会館や椿山荘でのリアルロケの舞台も見事だが、何といってもこの作品の魅力なのは役柄とキャストマッチ感が漫画アニメ原作の中では非常に秀逸だということ。

主人公桐山零扮する神木隆之介は、もう彼しかできないと思うほど合っていた。

零の長年閉じ込めた想像を絶する辛さと哀しみを目に宿し、棋士として生き抜くプロとしての覚悟と揺らぎの中、あかりやひなた達の関わりによって心がほどけていく様も含め、この作品の縦軸であろう、零の精神の変化が彼の微細な表情と目の動きで心に迫ってくる。

今や日本映画界の申し子といっていい堂々たる主役の存在感だと思う。

そして、零を心の友と広言する二階堂役の染谷将太は原作のぽっちゃり感を特殊メイクで再現しつつ、その違和感の無さと表情の屈託の無さもいいが、モデルとなった村山聖棋士本人と「聖の青春」での松山ケンイチの役柄が重なったかのような、難病を抱えながら、命を削って将棋に全てを懸けるその火の玉のような熱さと、零への叱咤激励を自らも追い込みながら繰り返す彼の姿に幾度も涙腺が刺激された。

香子扮する有村架純も、気性が激しく、零への愛憎渦巻くダークサイドっぷりが新鮮でいい。彼女の本来のイメージとはほど遠いものの、零に対する荒れ狂う猛威と共に色気を垣間見せる。

で、驚きは、この作品のヒロイン的存在のあかり扮する倉科カナの意外性。原作アニメでのあかりの魅力が素晴らしいので不安はあったものの、色気と癒しの雰囲気がいい感じに融合されていてナイスキャスティングだと思えた。倉科カナの生涯最高適役に恵まれたのではないだろうか。

また妹のひなた扮する清原果耶の健気で真っ直ぐな感情の溢れも素晴らしい。

他にも、軽いけど熱い本音で零と語る担任の林田扮する高橋一生の軽妙な存在感もハマっていて、将棋連盟会長の岩松了のにやけ具合も相変わらずいいが、新人で目に留まったのは、新人王決勝で零と激突するスキンヘッドの山崎扮する奥野瑛太も気迫と目力と浮き出た血管で鮮烈な印象を残す。そして、楽しみにしていた零の先輩棋士スミスこと三角役の中村倫也もいい感じに原作イメージを生きている。

ただ、ただである、実はこの作品の最大の魅力は、神木隆之介や染谷将太や有村架純といった若者チーム以上に、中年男たちの突き抜けたカッコよさだ。

豊川悦司、伊藤英明、佐々木蔵之介、加瀬亮、この酸いも甘いも嚙み分けた、しかもプロの極限の道で闘ってきた男たちの存在感が素晴らしい。

零の育ての親であり、プロ棋士の幸田扮する豊川悦司のその柔らかい笑みの中の将棋への厳しさが滲むと共に、壊れかけた家族を見つめる寂しげな眼差しが印象に残る。

で、ヤクザ並みの眼力と存在感で圧倒する後藤九段扮する伊藤英明の凄みも素晴らしいが、彼とガチンコで対決する島田八段の佐々木蔵之介の零をも気に掛ける懐の深さと勝負師の気迫が素晴らしい。

あまりのプレッシャーで胃痛で身をよじらせ、油汗を流しながら闘い抜く彼のぎりぎりの表情が脳裏に焼き付く。この2人の対決のシーンは身震いがするほど、緊迫感に満ち、いつまでも観ていたいほどだった。

そして、孤高の天才棋士、7タイトル制覇の宗谷名人役の加瀬亮の静かなる超越性は、もうこの人しかいないと思えるほど、はまっている。対局でも表情一つ動かさない超然たる存在感は唯一無二だと思う。

この作品の主軸はもちろん零の成長物語ではある。有村架純扮する香子との愛憎や孤独、そして川本家の無償の愛との出逢いを通じての零の内面変化がびしっと中核をなすのだが、私にとってはこの作品の最大の魅力は、研ぎ澄まされたプロ棋士たちの命を懸けた生き様の物語としての迫力である。

将棋という道で生きる、いや将棋でしか生きられない零や二階堂や後藤や島田や宗谷といった、ある意味、抜きんでた「怪物」たちの闘いに息を吞み(一方、怪物たちに飲まれた棋士の残酷な疲弊も描かれているが)まるで時が止まったような盤上の闘いを固唾を呑んで見守る、緊迫の心理劇を存分に楽しんだ138分だった。

そのプロの矜持というか「道」の重さを身体で味わい尽くす映画だ。棋士の道というのはこんなにも過酷なのか、それを至近距離で目撃し、痺れる幸せ。

「フラガール」などで日本を代表する撮影監督の山本英夫氏は役者の鬼気迫る表情と、神経が研ぎ澄まされた指先の一手一手の動きを「アラビアのロレンス」で使われたレンズで撮ったとのことで驚いた。

至近距離なのに奥行きとダイナミズムに満ちたワイド映像で体感させてくれるこだわりが凄い。そして、パチ、パチと将棋を指す音も一人一人違うその音の美学も存分に堪能した。

彼らほど極限の闘いで生きる人間は少なくとも、誰だって自分の道は持っている。プロとしての仕事も持っている。なにがしかの矜持がある。 

その自分の道って一体何なのだろうか、そこにどれほど向き合っているのだろうか、他のすべてを捨ててまでも、得たいものはあるのか、そんな問いが彼らのぎりぎりの闘いを眺めながら、脳内を駆け巡る。

島田(佐々木蔵之介)と後藤(伊藤英明)の闘い。そして宗谷(加瀬亮)の孤高の闘い。そんな怪物たちに闘いを挑もうとする零(神木隆之介)の葛藤。

彼らが盤面を前に向かい合う緊迫感、いつまでも観ていたいと思った。プロとして更なる高み(宗谷に挑み)を目指し、零の精神的な果ても描かれるであろう後編も素晴らしかった。

この作品もまた、見終えた後になかなか消え去らない余韻を残す。私にとっては「道」に生きる厳しさと美しさだった。

いつか私も人からどう思われようとも、自分の「道」を貫いたと言い切れる自分になりたい。この映画を観るたびに心からそう思う。