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オクジャ okjaのserinaのネタバレレビュー・内容・結末

オクジャ okja(2017年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

この映画を見てて、ビジネスが人を自然から遠ざけ、動物と触れ合う機会を奪い、地球に生きていることを忘れさせてしまっているのではないかという恐怖を感じた。地球という惑星の中で人間が生きて行くために構築された社会が地球生命体を破滅に追い込むなんて本末転倒ではないか。

「安ければ食べる。」「美味しいから食べる。」
これで本当にいいのだろうか。動物を食べることに反対する人に対して「人間も動物だ」って反論してるのを見たことがあるんだけど、人間以外の動物は、食べるためだけに命を生み出すことはしない事実を認めることは必要だと思う。

肉を食べることを反対する。というよりは、肉の価格が低すぎることに問題があると思う。なぜ、ここまで価格が落とせるのか。そこには「屠殺」という残虐が方法を使われているからで、Okujaでも動物愛護団体が公開した映像は、実際に探せばyoutube上に溢れてる。ポンジュノ監督が架空の動物を作り上げてるけど、youtube上に溢れる映像は、まさに人間たちが食べるためだけに生み出している牛、鶏、豚たちで見るに耐えない。この映画を通して、本当に監督が伝えたかった畜産業の実態や人間の犯している事実と向き合う気持ちがある人が出たら、そしてそこから生活を変える人たちが増えたら、この映画の意義が成されるのだと感じた。

「欲望に支配される人間」
-お金儲けのために開発を進める人間
-安さや味覚頼りな消費者
「忠実さに支配される人間」
-環境破壊を食い止めようと意識が朦朧しながらも食べ物の摂取を最小限にする動物愛護団体に所属する男
→人間性がとにかく面白かったし、すごく皮肉なことだと思う。自分を含め、社会に生きる人間は、欲望を言い訳とし、過激な忠実さや倫理観、道徳心や協調性をアイデンティティ化してみたり、自己肯定に使ったり、時に同調圧力として周りの人間を巻き込んでいる。そういう人間性が鮮明に描かれていたのが興味深い。

誰が悪いかわからなくなる。例えば、日本を含めたある程度の生活に余裕のある人たちは、この畜産問題と向き合った時に何か行動に移すことができたとしても、生きることに精一杯な環境にいる人たちにとって畜産問題やアニマルライツを考慮する余裕などないわけだから。だからこそ、社会が目指す方向性に生産性や効率性ばかりに重点を置くのではなく、倫理性や命の価値を見つめ直すきっかけになる映画であると言える。

日本でも遺伝子組み換えってすごく敏感だけどさ。雑食の人たちが食べてる命の価値に見合わない安い肉は基本的に遺伝子組み換えされた穀物を餌に与えられてるから、肉を摂取すればするほど遺伝子組み換えを体に取り入れてるのとさほど変わらないんだよね。本末転倒ってか、本質を見落としてることに気づいてない人たち。
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