Inagaquilala

マンチェスター・バイ・ザ・シーのInagaquilalaのレビュー・感想・評価

4.4
この作品がアカデミー賞の作品賞にノミネートされたときから、絶対に観ようと思っていた。結果的にアカデミー賞は6部門ノミネートで主演男優賞と脚本賞を獲得、作品賞は「ムーンライト」に攫われたが、それでもタイトルに含まれる「バイ・ザ・シー」という響きが、自分にはたいそう魅力的に聞こえ、この作品に対する期待は膨らみこそすれ、しぼむことはなかった。

事前に本作品の監督であるケネス・ロナーガンのデビユー作「ユー・キャン・カウント・オン・ミー」(2000年)も観た。実は、こちらも故郷を離れていた弟が姉の元に戻るところから物語は動き出すが、シチュエーション的には似通っている。帰郷し、そこで親族に接することで、人々の心模様にざわめきが訪れる。

ケネス・ロナーガンは寡作な監督で、この「ユー・キャン・カウント・オン・ミー」の後、2011年の「マーガレット」まで、監督作品がない。そしてこの「マンチェスター・バイ・ザ・シー」が第3作目にあたるのだが、前2作は日本では直接DVDとしてリリースされたため、ケネス・ロナーガンにとってはこの作品が本邦での初劇場公開作品となる。

前置きはとりあえずここまでとして、とにかくこの作品の立派なところは、観る者に安易な癒しなど与えないところにある。主人公のリー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)は故郷の町を離れ、ボストンでビル保全の仕事をしている。いわゆる便利屋で、水道管を直したり、不用品を回収したり、しかし彼自身はその仕事にけっして満足しているわけではない。

そんなときリーの元に故郷の町に住む兄が死んだという知らせが届く。故郷の町までは車で1時間半の距離だが、リーにはそれはとても長い道のりだった。彼はその町にとんでもなく「重い荷物」を残してきていたのだ。兄の遺言で、彼の息子であるパトリックの後見人に指名されたリーだったが、何とかこの苦い思い出の染み付いた町から離れようとするのだが。

物語の展開に従って、リーの回想シーンがところどころ挟み込まれ、彼がこの町で引き受けなければいけなくなった運命の出来事が次第に明らかになっていく。このあたりの現在と過去の往き来はかなりスムースで無理なく展開されていく。回想であるのに説明的で無駄なシーンは一切なく、このあたりケネス・ロナーガン監督の演出はかなり水際立っている。

主人公リーの吐くセリフのなかで、最も印象深く、心に残るのが、彼が呻くように絞り出す「乗り越えられない」という言葉だ。いろいろ試みはすれ、やはりかつてこの町で負った心の傷は癒しようがなく、リーは、偶然元妻に再会した路上で、この言葉を吐き、彼女の前(つまり過去)から去っていく。リーにとってはこれからも「乗り越えられない」日々が続くのだが、この故郷であるマンチェスター・バイ・ザ・シーの美しい海は、昨日も今日も明日もそこにある。カメラはそれを何度も映し出す。

登場人物たちの心象をアナライズさせるような風景描写は頻繁に挿入されるが、この変わらぬ町の景色が、この作品が語らんとする人間としての在り方をじわじわと伝えてくる。救いも悟りも安逸もなく、ただただ苛烈な事実を引き受け、生きて行くしかないのだということを、この作品は風景描写を実に巧みに配して、かなり印象的に描いていく。その誠実かつ真摯な作品へのスタンスがまた、この監督ケネス・ロナーガンの真骨頂かもしれない。

作品を観終わったとき、ジャック・ニコルソン主演の「ファイブ・イージー・ピーセス」(1970年)とヴィム・ヴェンダース監督の「パリ、テキサス」(1984年)が頭を過ぎった。どちらも強い感動をもたらしたマイ・フェヴァリット・ムービーだが、この「マンチェスター・バイ・ザ・シー」も、これから、いつまでも、自分の心のどこかに、確かな場所を占めていく作品となるに違いない。
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