エクストリームマン

マンチェスター・バイ・ザ・シーのエクストリームマンのレビュー・感想・評価

4.1
I can't beat it. I can't beat it. I'm sorry.

冒頭、昏い表情と誰も寄せ付けない雰囲気は気になるものの、黙々と雪かき、電気工事、トイレの修理に精を出す「便利屋」のリー・チャンドラー(ケーシー・アフレック)は、問題を抱えつつもそれなりにやっているように見える。クセ者が揃っていそうなアパートの住人たちとリー・チャンドラーの間に何かが起こりそうな予感がある。というか、実際に起こっている。ただ、立てられたフラグは次々とリー・チャンドラー自身によってへし折られてしまうので、発展はしていかないわけだけど。

巨大な罪を犯して壊れてしまった男を主人公に置きながら、しかし彼にベッタリ寄り添って物語世界を暗黒に染め上げることをしないケネス・ロナーガン監督のスタンスが全編に色濃く反映されている、そんな映画だった。そして、予告編の印象よりも遥かにユーモアに満ちている。

犯した罪と、更にその罪に対する「罰っせられない」という罰に苛まれ続け、光を拒絶して抜け殻のように生きるしかなくなってしまったリー・チャンドラーは、最愛の兄:ジョー(カイル・チャンドラー)の死によって忌まわしき故郷マンチェスター・バイ・ザ・シーへ帰還することになる。彼にとって、まさしくそれは針の筵、地獄巡り。しかし一方、父の死によって独り残されたジョーの息子パトリック(ルーカス・ヘッジズ)は、混乱しつつも、彼のささやかで華やかな日常へ没入することで哀しみを癒そうとしている。他人の視線に怯え、イラつき、不安定なリーに対し、パトリックはアイスホッケー、バンド、二股と大忙しで、さっさと自分の人生続けたいんだけど、アンタはなんで邪魔ばかりするのかと、リーの罪悪感など知ったことはないという態度で接していく。実際、他人事である。個々のキャラクターが違った人生を違った態度で同時に生きている世界なのだ。

映画は中盤からリーとパトリックのバディムービーのようになっていき、リーとパトリックの距離は縮まっていくが、それは同時にリーにとって耐え難い過去のトラウマを呼び起こすことにも繋がっていく。また、リーの元妻ランディ(ミシェル・ウィリアムズ)も「あなたは悪くない」と、いや、お前トドメ刺すようなことを今たまたま会ったからって言うんじゃねーよというタイミングで言う等、全方位からリーは追い詰められていく。このあたりもリーにとっては耐え難いのだろうけど、あまりのことに寧ろ笑ってしまう。リーが乳母車押したランディに道端で出会した後、映画冒頭みたいな乱闘騒ぎをバーで起こしちゃう場面なんかも、痛ましいけどおかしい。

パトリックが密かに連絡を取っていた母親のエリーズ(グレッチェン・モル)の家に行った時のあの気まず過ぎる食事場面とかもかなり笑えた。その辺を察して食事に同席しなかったリーのカンは正しかったと。帰りの車中での会話なんかもおかしかった。

アカデミー賞はこういう役じゃないと獲れないのかとため息出つつも、表情一発でトーンを決めていたケイシー・アフレックは流石。

家族にも街にも慕われた男:ジョーを演じたカイル・チャンドラーの安定感たるや。彼の安定感を逆手に取った『キャロル』におけるキャロルの夫役もよかったけど、やっぱりこういう真正面からの役が映える。

パトリック役の新星ルーカス・ヘッジズは、よくケーシー・アフレックのトーンに引っ張らずに演じられたなと関心した。この映画を陰気臭いだけのものにしない役目はパトリックが一身に背負っていたと言っても過言ではないので。あと、パトリックの彼女の「バンドやってない方」ことシルヴィーって、『ムーンライズ・キングダム』のヒロインだったカーラ・ヘイワードなんだな。観てる間気づかなかった。

哀しいことは哀しく、辛いことは辛く、乗り越えられないこともあるけど、それが全てではないということだけでも頭の隅に置いておいて、たまに思い出すのも悪くない。