いののん

奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガールのいののんのレビュー・感想・評価

3.3
数ヶ月前、職場の同僚が以下のようなことを言った。
「私たちはいっつも、男の人に、“すごいですねぇ” とか “さすがですねぇ” とか、持ち上げたり褒めたりと、すごく気を使っている。男の人の自慢話にもちゃんと相づちを打つ。だけどさあ、その逆ってないと思わない?」

そんなこと、考えたこともなかった。でも言われてみれば、確かにそうだ。その話に私は深く同意した。私の心に深く刻み込まれた。それは、新発見だった。
これまで私は、当たり前の振る舞いとして、そうしてきた。何も嘘をついて持ち上げてきたワケじゃない。ホントにそう思うから、そう言ってきた。意識したことなんてなかったけど。もうずっと前からそうしてきた。フェミ論とかは全くわからないけど、当然の振る舞いとして刷り込まれてきたのかなって思う。


さて。
休日出勤で疲れ果て、気楽に脱力して観られるものをと、映画館に駆け込んだ。でも、予告から想像していたようなものとは、随分違っていた映画だった。

観ながら、何ともやりきれない気持ちになった。そして、観終わってからの帰り道には、フツフツと怒りが湧いてきて、大根監督も含めて、男の人のことみんな、大嫌いだと思った。でも、家に帰ってアレコレしているうちに、次第に内省的な心持ちになり、やがて悲しい気持ちにもなってきて、今に至っています。うまく言えないんだけど。


水原希子は、ずば抜けた容姿を武器に、その男の人が望んでいるような言動をしてきただけだ。おのおの方が喜ぶことを、してさしあげてきただけだ。いわば、パートタイム・ラバーである。それのどこが悪いのだ!? 

いっそのことお金が介在したら良かったのかも。
水原希子が従事している会社の社長さんとか、雑誌編集の会社とかが、男の人に気持ちよく仕事をしてもらうために、水原希子にこっそりお金を支払っていたという設定だったらどうだろう。それならば、何となく納得がいくような気がする。


相手の喜ぶことをしたいと思うのは、愛なのか。それとも、刷り込まれてきた作法なのか。その線引きは、本当にとても難しい。もう、私には訳がわからない。 


(映画の本筋とは全く違うところに思考がいってしまいました。すみません。)
いののん

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