アランスミシー

RAW〜少女のめざめ〜のアランスミシーのレビュー・感想・評価

RAW〜少女のめざめ〜(2016年製作の映画)
-
こんなタイプの家のなかのモンスター映画は初めてだ!


トワイライトごときで満足してる世の女たちよ、これが本物の愛だ


キリスト誕生=紀元
後始めてメスの本性が現わになりつつある時代、
女性が権力を持ち始めた今、キリストによってアイドル(理想)化された女性像が崩れつつある。
バブルでもないのにホス狂いするオンナたちの時代、
フェミニズムと称して自らの裸を見せつけるオンナたちの時代、

魔女=痴女が男性社会のピラミッドを崩しかねないと日に炙られていたあの時代の復讐だろうか、
そんな時代に、男は理性だけではとても正気を保てない。
そこで、愛をもってして共に生きようと、そう覚悟したのだ!


ジャンル映画として最高峰のデキ栄え
というのは、ドラマとしてのレベルでは無く、ジャンルとしてのレベルの高さということ

まるでサイコを観た時のような恐怖を思い出してしまった

あるタイプの人間をただそれとして描き、その存在の矛盾をただ見せつけて幕を閉じる映画
数少ない手法だからこそ、物凄く目立つ
僕は初めて『緑の光線』を観た時に衝撃を受けたが、実は、社会と相反したキャラクターとそれに相対する社会さえ用意して見せるだけで映画は完成するのだ。

その先が描かれなくとも、先が観客に想像できさえすればそれだけで完成なのだ
他にも例えをあげるなら
ヘルツォークの『アギーレ神の怒り』
も同じだ

人類vs地球『アギーレ 神の怒り』
理想恋愛主義vs現実人間社会 『緑の光線』
食人族vs文明社会、『RAW 〜少女のめざめ〜』


やはり、AVよりも映画の方が数段エロいと言うことを確信した。

AVが、目前の性欲の処理道具だとすると、
映画は幾度の性欲処理でも満たされない究極の肉欲、を晴らすための実存する肉体なのだと実感


究極のフェチズムはAVでは表現できない、なぜなら、そのフェチズムは常に日常生活と隣接しているからだ
日常生活を綿密に描かずして何を表現できるだろう

この映画で射精できたらどんなAVで射精した時よりも気持ち良いに違いない


上映後にサイゼで食べたステーキが物凄くおいしかった


そして、食人族がLGBTに並んだ瞬間を目撃してしまった
10年後、食人族が大量発生するかもしれない

難題に直面した平凡なやつでも組織のなかでではなく家のなかのモンスター