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尾崎翠を探して 第七官界彷徨のニューランドのレビュー・感想・評価

3.3
☑️『第七感界彷徨 尾崎翠を探して』(3.3p)及び『ユキエ』(3.3p)『アイ⋅ラヴ⋅ユー』(3.3p)▶️▶️

FAではかなり長期に亘って、1990年代の日本映画の特集をしている。その時代もう30を越してたので、熱い想いは湧かないが、安いし確認や時間潰しで観ている。只、当日か2.3日前の予約入れなので、宮崎駿なんてのはとっくに売り切れてる。わりと最近、『もののけ姫』の舞台が故郷に近い、我々の地方史の一部の話らしいと知り、観たかったが。宮崎はコロナ期に『千と~』を見るまで、30年くらい観る事もなかった、あまり興味のない作家なのだが。
今回、全く予備知識なくサラで初めて観る映画もある。1970年後半にFOXを中心に、女性映画ブームがあり、私はまだしも『SW』『CE3K』の方を支持してたが、周りは例外なくそれは馬鹿にして、女性映画を評価していた。それらより、演出も女性が多く担当、深みも増してる、90年代の日本女性映画3本。その分、男性の視点からは、ピタッとまではいかない。
浜野の作は、ピンクも含め観た事があったような、無かったような。結構高名だから、意気込んで観て、そうよくも無かったので記憶から消したのかも知れない(ピンク同僚、本作でもチョイ役出演の吉行の監督作は印象にあるが)。
まるで喜重の伊藤野枝を扱った『エロス~』ばりに、幾つかの時制、フィクションと事実が、境目無く交錯してゆく。その際、『エロス~』のような拘りが感じられなく、自由なのか⋅密度を欠くのか、ピンとこない。これでいいのか、という気もするが、個人的に古風な見方をする方なので、横移動にズームや寄る移動を加え、顔のCUや俯瞰め退き⋅軽いアクション積みで語られるメイン⋅タッチは、カット少なめにしては、美術⋅立ち振舞の密度を欠いている、と気になる(ラストの砂丘空撮の伸びやかさは気にいるも)。
クイアたちの集まった現在のライブステージでモニターが出てきて不可思議な歴史の勉強会、尾崎翠の死の昭和40年代後半生地鳥取県から昭和初期東京まで逆に辿る伝記(「監視されてる、という薬物中毒」「自然主義に毒され、冷静な説明に留まり、女性批評家もいなあ、男性中心の日本文壇の致命的偏り」)、1作品の断片連ね再現(「苔を育てる科学の臭気と⋅天上に駆け上がる音楽の、共存し難い環境」「隣家同性や、異性でも片想い留まりの、同棲⋅複数者出入りの、呼吸のある種理想と現実行き止まり」)の、3本の交錯は、自由を与えてくれるようで、男の私はおそらく女ほど自由ではなく、確証をつい求めてしまう。白石加代子は舞台を観にも行った大女優だが、もう1人のヒロイン、当時劇作家の姉と共によく見かけてた柳愛里(神代の遺作等)がやはり愛おしかった。
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似た感覚だがデリケートさはより、しっくり伝わる『ユキエ』は、日本人のスタッフと部分キャストを、アメリカでの撮影メインに押し込んだ(日本の萩の辺りの旧いイメージは、絵をズラしダブらす映像処理で挿入。アメリカのルックも淡くブラウンやグリーンのモノめ纏めが主。)作品で、戦後’50年代初め米軍基地の航空兵と当地の日本人看護師が恋に落ち、勘当されて米国で居を構え⋅子供も育てて40数年後の話。妻がアルツハイマーを発症してからの様子を、静かにしかし狂おしく見つめてゆく。姉が似た人生を歩んだ新藤の脚本が強いかというと、そうでもなく、原因を8年前起業してパートナーに裏切られ罠にはめられ⋅法や社会からも一家ごと半ば葬られた傷痕か、と名誉回復にかける夫や、日本光景がフラッシュバックの頻度強まる妻、の内面に向けられ、妻の過失火事をイメージして職場から駆け付ける(強いカットバック使用)夫の凶を含む日常の重ねもしっかり追う中、「ここが故郷」「2人(いずれ1人)だけの持てる記憶と歴史」と静かに人生の総体の肯定⋅受け入れに至る夫婦の世界は、性区別ではないが、やはり女性的なものを感じる。
構図、移動、かって、アップ入れ等、西洋的にシャープだが、緩やかな家屋など捉えと寄っていくかズームの柔らかさは、曖昧も心地いい、日本的も感じる。
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『アイ~』は、豊田市に住む消防士の夫、元⋅市役所に勤めてた聾者の妻、小学生の娘の家庭を中心に据える。聾者ら身体障害者、それに付随する手話による会話、等が劣るものとして、蔑まれもしている現状に対し、同情も嫌⋅1人で何でもと、一時過度に意地を張る面もあった(やはり助け合いつつ、へ)妻が、友だちがやってる聾者劇団再建、市の演劇祭の新プランナーのより広い(異色)劇団募集、に参画、家族や友人、若い世代やプロ俳優の厳しさ知るパントマイマーらの協力も得て、手話のあらゆる肉声言語に劣らぬ事、同じに広めてく価値を伝えた、公演を成功させる。
監督は男性だが、以前このシリーズの1本を観た事もある、聾者アクトレス1号とあったオーディションからの忍足さんの、表情⋅肢体⋅感情⋅仕草の、清潔な健康感が張りつめて、何の引けめもない美しさが作品の成功と色合いを作った気がする。分かりやすく、嫌味なく(あらゆるキャラが同調者に変わってく)、メリハリとユーモアの散りばめられて、卑屈等どこにもないタッチもいい。マトリンのこの10年前登場に併せた面があるにしても、かつての秀子=桂樹作のような、退き方はもうない。
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